株式会社サンフレンズ 代表取締役 兼 一般社団法人 日本ファミリービジョン協会 代表理事 成瀬 浩之

成瀬さん

兄の急死で落ち込む父を救った子どもの存在

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実家は岐阜県の恵那。両親と2学年上の兄の4人家族。僕に一番の影響を与えたのが父だった。父はいつも笑顔で優しかった。力持ちで、なんでもできた。土建会社の社長として現場の職人さんにも慕われていた。明るくて強くて、カッコよかった。

 

私はそんな父の背中に魅せられて、気付けば同じ業界を選んでいた。名古屋工業大学を卒業後、名古屋の建設コンサルタント会社に就職。一人前になって両親に認められたいと、一生懸命仕事に打ち込んだ。

 

 

しかし、私が27歳の頃、強い存在だった父が急変する出来事が・・・。くも膜下出血による兄の急死。元気だった兄が突然亡くなった事に、僕も大きなショックを受けたものの、両親の落ち込みようは、人生が終わってしまったくらいの激しいものであった。

 

悲しみ続ける両親の姿を見て、自分の中にあった幸せな家族像は崩れていった。父と母に再び笑顔を取り戻したくても何もできない、そんな自分をふがいなく感じていた。

 

 

深い悲しみを抱えたまま5年間の月日が流れたころ、テニスサークルで出会った妻と結婚した事により、再び両親に笑顔が戻った。結婚式の日に両親から「これで家族が4人になった。さらに家族が増える事を楽しみにしている。」という手紙をもらった。

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家族の人数が元の人数に戻った事が、両親にとって兄の死を乗り越えるキッカケになった。そして34歳の時、待望の長男誕生。家族が増えた事で、完全に両親は元気を取り戻した。特に父の変わりようには驚くほどで、孫に会うために家に来るようになったのはもちろんの事、孫を連れて会いに来てもらうために、実家の庭に自作でバーベキュー場やブランコ、プールを作るほどだった。

 

孫の存在により息子を亡くした悲しみから解放されて、生きる気力を取り戻し、以前にも増して元気になった両親の姿が嬉しかった。

 

両親の元気な姿を取り戻す事。僕には難しいことであったが、息子は生まれてきただけでそれをいとも簡単にやって見せてくれた。子どもはただそこにいてくれるだけで、まわりの人を笑顔にできる。子どもがいるから親は頑張れる。父は僕と兄がいたからこそ、カッコいい父でいられたという事が、僕も親になってわかるようになった。そして僕も父のように、カッコいい背中を見せられる父親でありたいと心から思った。

 

会社の民事再生をキッカケに転職、そして起業へ

 

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元気になった両親と、最愛の妻、かわいい子どもとのかけがえのない時間。普通の幸せを感じながら暮らしてきた毎日も、37歳の時、勤めていた会社が民事再生で事業縮小する事になり、生活は急変する。優秀な同僚は次々と辞めていき、今後どうなるかわからない不安の中、今までの条件では働けない事が確定していた。しかも、家を買って住宅ローンを組んだばかりの最悪のタイミング。

 

このままでは家族の生活を守っていけないと転職することを決意した。幸いにも転職先はすぐ見つかり、3社から内定をいただいた中で、幼い息子と過ごす時間を作れるように地元の会社を選んだ。

 

しかし実際働き始めてみると、「幼い息子と過ごす時間」なんてものは作れないような労働環境だった。社長と社員の対立が起きるほど、会社の雰囲気は悪かった。長時間働く者が評価されていたため、みんな朝早くから出勤し、夜遅くまで会社にいるのが当たり前だった。早く仕事を終わらせて帰ろうとしても、社長からは「他の者が残っている中で、なんで早く帰ろうとするんだ!」と問い詰められた。

 

徐々に心身ともに追い込まれて、そんな社風に合わなかった僕は、気がつけば「運が悪い」「疲れた」が口癖になっていた。

 

38歳、それでも生活のためにと必死に働いていたが、長男が描いてくれた誕生日プレゼントの似顔絵が僕に退職を決意させた。

 

目が大きく黒く塗りつぶされて、夢も希望を失っているかのような疲れた表情の僕の顔。父のようなカッコいい背中を見せたかったはずなのに、「こんな風にはなりたくない!」という想いを訴えられているかのようだった。

 

家族のために頑張っていたはずなのに、子どもにカッコ悪い背中を見せてしまっている僕。何のために働いているのかわからなくなった。悔しくて虚しくてどうしようもない気持ち。でも、再び転職をしたところで同じ事の繰り返しになるかもしれない。自分を変えるには、そして自分らしく家庭を大切にして仕事をしていくためには起業するしかないと、退職してすぐに株式会社サンフレンズを設立した。

 

仕事の主な内容は、前職でも少し関わっていた太陽光発電の導入をサポートする建設コンサルタント。僕の想いに共感してくれて支援してくれる人もいたものの、スキルはもちろん、実績もほとんどゼロでの立ち上げ。仕事は本当に大変だった。生活のためのお金を稼ぐ事で精一杯。

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次男が生まれたにもかかわらず、育児や子育てに積極的に関わる事ができず、妻の気持ちに寄り添う余裕なんて全くなかった。それでも、事業を軌道に乗せるために、あきらめずやり続けてきた結果、設立当初の夢だった、故郷に自社の太陽光発電所をつくることができた。

 

子どもに尊敬される親になるためファミリービジョン協会を設立

 

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少し気持ちにゆとりができ始め、家族との時間も取って、楽しく過ごす毎日。しかし何かが違うと感じるようになっていた。それは、僕は父のように「お父さんみたいになりたい」と息子達に思われる存在になれていないということであった。

 

力も技術もあって、現場でわかりやすく仕事を子どもに見せる事ができていた父と違って、建設コンサルタントという僕の仕事は子どもにわかりやすく伝えにくい仕事でもあった。そのため、どうしたら息子達ともっと深く関われるのか考えるようになった。

 

本を読んで知識を入れても足らなくて、色々なセミナーや勉強会に参加するようになった。しかし、自分が求めているような親のあり方を講座として組織的にやっているところが見つけられなかった。

 

 

僕のように、「子どもに尊敬される親になりたい!」と思う親は他にもたくさんいるはず。そのための親の学び舎がないなら自分で作るしかないと、2013年8月、親のための教育の場を広めるために、株式会社サンフレンズと同時並行して、一般社団法人日本ファミリービジョン協会を設立した。

 

「子どもの可能性を最大限に引き出すために、学び合いにより見本となる大人を増やすこと」という理念に共感して活動を共にする仲間を得て、パパ・ママ向けの講座(親育)をスタートした。

 

 

父のように、身近にカッコいい背中を見せてくれる親がいると、子どもは将来に対して明るいイメージを持つ事ができる。そして以前の僕のように、「運が悪い」「疲れた」という言葉や態度を見せる親がいると、「仕事は楽しくないものだ」と伝わってしまい、子どもの夢を奪う事になる。

 

 

子どもの可能性を引き出すためにと親のあり方について探究すればするほど奥が深く、子育てを通じて親も共に成長する事が多いと気づいた。想いに共感してくれる仲間の協力を得ながら、試行錯誤しながら講座を作っていく事は楽しくて仕方がなかった。

 

辿り着いたナビゲーターモデル!親育を広めていくために・・・

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そして定期的に親育講座を開催してきた中でたどり着いた1つの形が、ただ知識やノウハウを伝えるのではなく、参加型で自分なりの答えや気づきを導き出させる学び合いスタイルであった。講師が話す時間を減らし、参加者の発言の機会を増やしていくほど、気づきが多く、学んだことを実践してもらいやすくなって、満足感が高まることに。

 

 

講座を開催するたびにリピーターも増え、日本ファミリービジョン協会の親育ナビゲーターも少しずつ増えていった。しかし、その一方で苦慮したのが事業の安定化・事業化。集客を口コミ・紹介に頼ってやっているため、1ヶ月先でも、どのくらい忙しくなるのかわからない。そのためサポートメンバーもどのくらい活動できるのかもわからず、なかなか広げていけない。

 

これをなんとかしようと今取り組んでいるのが、学校・保育園・子育て支援団体・企業との提携。定期的に活動できる場所が増えれば、低価格の講座でも必ず事業化していけるはず。

 

 

僕にとっての父親がそうであったように、もっと多くの大人に、「子どもの見本」となって欲しい。そして自分もそうなりたい。子どもの存在があれば、親は頑張れる。しかし、頑張りたいと思っても、どう関わっていいのかわからなくて困っている人はたくさんいる。

 

そんな人たちのために、この親育の活動を全国に広げたい。もし、そんな親育活動の場を提供してくれる学校・保育園・子育て支援団体、企業があれぜひ協力してほしい。

 

成瀬さん