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最近、メンタルコーチとか、人を元気にしたいという講演家が増えた。

 

「夢を持つ事は素晴らしい」という話が聞く人によって曲解されて

「夢を持たなければならない」になっているのを感じる。

 

ある意味危険だと思う。

 

「プロ野球選手になりたい」って言ったら親が喜ぶから、

「留学したい」って言ったらまわりに認められるから、

「リーダーになりたい」って言ったら評価が上がるから、

「世界を平和にしたい」って言ったらカッコいいから、

などの理由で本気になれないような夢をなんとなく創作してしまう人がいる。

 

偽物の夢の氾濫。

 

そこまでやりたくもない事を自分の夢だと勘違いして、

行動できなくて、続かなくて、挫折して、自己否定する。

 

夢は無理して持つものでもないし、強制されるものでもない。

自然と内側から湧き上がってくるもの。

 

だから「夢は持ちたい人が持てばいい」くらいで考えるのがきっとちょうどいい。

 

 

夢を持てなくて頑張れない人がダメという訳でもないし、

無理に夢を作らなければいけないものでもない。

焦せらなくたって、やりたい事を探して行動していればいずれ見つかる。

 

また、夢に向かって頑張っている人が偉くて、

頑張っていない人が偉くないという風潮が広がってしまうと、

ドリームキラーと呼ばれる人が増える事に繋がる。

 

例えば、会社でも、

業務時間外まで会社に残って頑張っている人が偉くて、

残業せずに早く帰って別の事をする人は偉くないとなると、

やるべき事はやっている普通の人が、非協力的だと否定される事になってしまう。

 

すると、

「頑張っている人のせいで私がサボっている事になるじゃないか!」

と頑張っている人の邪魔をするようになる。

 

やりたいからやっている人。

やりたくないのに仕方なくやっている人。

やりたくないからやっていない人。

会社にも色々いる。

 

本気ではない社員に辞めてもらうだけの覚悟のある社長は、

「エイヤ!」とやってもいいかもしれないけれど、

そうでもない社長は背中を見せるしかない。

 

考え方の違う人に、「それは間違っている!」と

その正しさを押し付けたって反発されて伝わらない。

 

やりたいからやっている人が

その楽しそうな背中を見せる事で、

それを見た人が「私もそうしたい!」と

自発的に広がっていくもの。

 

オリンピックで頑張っている選手の姿を見て、

感動して頑張る人がいるのもそう。

 

「死ぬ直前に後悔しない生き方をしましょう!」

と理屈で説明しようとする人もいるけれど、

極論を言えば死んでしまえば一緒かもしれない。

 

死ぬ時の事をわざわざ考えるよりも、今をラクに生きた方が幸せという考え方もある。

 

生きるための最低限の仕事をして、その残りを趣味に費やす。

やらなくてもいい事をやらないで過ごすのも1つの生き方。

 

どちらが正しいというものでもない。

 

いくら苦しみの先に充実の喜びがあると言ったって、嫌なものは嫌。

その喜びは言葉だけでは伝えにくい。

 

それは、高いところが苦手な人に

「バンジージャンプ楽しいよ!」と

どれだけ言ってもやりたがらないのと似ている。

 

それも、充実するために必要な苦しみを回避したいという

安楽の欲求に従えば自然な流れ。

 

夢を持ってチャレンジする人は、

リスクをわかっていても、やりたくてどうしようもなくて、

内側から湧いてくる想いに突き動かされて動いているだけ。

 

だから、無理と言われたって、できると思ってしまう。

できない事があっても、どうしたらできるようになるか考える。

お金が必要ならなんとか集める。

 

普通に考えたら変人。

 

そんな社員は簡単に育てられるものでもない。

 

基本は同じ夢を事を共有できる人だけを採用する。

そうでない人がたくさんいる会社では、

同じ夢を共有しやすくなるような時間・環境を作って、

その気になった人を1人ずつ引っ張り上げてサポートする。

 

同じ夢に向かっていける社員を増やすには、

時間はかかるけれど、それが一番近道なんだと思う。