数字・お金のために良心を犠牲にする。

 

そんな事は、

ビジネスの世界では日常茶飯事。

 

多かれ少なかれ、

みんなが本当はやりたくない事をやっては、

「誰か・何かのためには仕方がない」

と感情をおさめている。

 

本音と建前を使い分けて、

なんとかうまくやっている。

 

だからこそストレスが溜まって、

居酒屋に行っては、

愚痴や不平不満を言いたくなる。

 

そのストレス耐性がない人は

社内でなかなか昇進・昇格できないし、

最悪社会人として馴染めなくて、会社を去る事になりがち。

 

 

会社全体で見ても、いい人ばかりの会社では、

競争に負けて市場から退場させられてしまう事だってある。

 

少なくとも、数字・お金の面では、

綺麗事だけではうまくいかないと思える事も多い。

 

例えば、

狭い場所に押し込めて劣悪・残忍に飼育された安い肉と、

広い場所で尊厳を大切にされて飼育された高い肉。

食品スーパーに並べても、うまく流通させようにも、

高い肉はなかなか売れない。

 

社会的弱者を助けようとし過ぎると採算が合わない。

お客様の要望に真摯に対応し、

親切丁寧なサービスをしようとすればするほど、

人件費が膨大になって競合に負けてジリ貧になりがち。

 

下請会社・協力会社をイジメてでも、

短期的な経費削減に貢献した方が

上司・顧客・株主に評価されやすい。

 

どんなに素晴らしい経営理念を掲げていても、

給与が低かったら、支払えなくなったら、

社員は社長に暴言を吐いて去っていく。

 

 

現実的に数字・お金は大切で、

やりたい事をやるためにも必要なもの。

 

責任感が強い人ほど、

社員のため、お客様のためにと何かと理由を付けて、

本来の目的とは異なる事でもやってしまう。

 

数字・お金のために、良心を犠牲にする人が出てくる。

 

 

さらに、組織のメンバーが悪事に手を染めていたとしても、

まわりは見て見ぬ振りをする傾向にある。

 

例えば、会社の経営が苦しい時、

社員が多少の悪事を働いていたとしても、

会社の利益に貢献してくれていたら上司は両目をつむる。

 

同僚が悪い事をしていると知ったところで、

・告げ口をして恨まれたくないから、

・組織に迷惑をかけたくないから、

・生活を脅かされるから、etc

結局口に出せない。

 

勇気を出して内部告発したところで、

鬱陶しがられたり、イジメられたり。

メリットは少なくてデメリットばかりというのが現実。

 

 

ビジネスの世界はある意味、生活を賭けた勝負事。

 

特に1位と2位の差はものすごい。

 

だから悪事に手を染めてでも、

1位を取りたいと思う人がいたって不思議ではない事。

 

それはスポーツの世界でも同じ。

 

1位になれば、地位・名声が手に入る。

1位になれば、有名になって優秀な選手が集まる。

1位になれば、多額のお金が手に入る。

1位になれば、すごい人達から認めてもらえる。

 

だから、

「悪事に手を染めてでも1位になりたい」

と頭を掠める人がいたって不思議ではない事。

 

ただ、悪事かどうかのギリギリラインがとても曖昧なだけ。

 

社会がストレスをぶつけやすいイジメの対象を探しているせいか、

そのギリギリラインの水準が年々厳しくなってきているように思える。

 

そして、叩きやすい対象を見つけては、

魔女狩りのように叩かれる人が出てきているというのが、

現実のような気がする。

 

 

その背景にあるのが社会のニーズ。

社会には、良心に背く事をしてでも

結果を出して欲しいという強いニーズがある。

 

実際、人間性が最悪であったとしても、

能力がある人・結果を出せる人は評価される。

 

いい人だけど結果が出せない人よりも、

悪い人だけど結果が出せる人の方が評価される。

 

すごく結果を出した人が

「部下を怒鳴ってでも結果を出させたらいいんだ!」

と成功法則を語れば、

それは正しい事だと認識される。

 

 

今はきっと、

「それっておかしいんじゃない?」

と若い人達を中心に気が付かれ始めてきた移行期。

 

本来はみんなを笑顔にするために存在するはずの会社・仕事。

 

それなのに、

誰かを叩くって幸せ?

いがみ合うって幸せ?

数字・お金のために良心に背く事をしてる大人ってカッコいい?

あなたはそんな大人になりたい?

 

そう問われているような気がする。

 

 

綺麗事だけではうまくいかないと思えるのは、きっと、

数字・お金のような

目に見える価値だけしか見えていないから。

 

どちらが心豊かな生活か?

どちちの方がステキな仲間が集まるか?

自分にとって本当に歩みたい道はどちらか?

 

そんな切り口も含めて考えれば、

たとえ数字・お金はギリギリだったとしても、

綺麗事だけでやっている人の方が幸せなのかもしれない。

 

短期的には数字・お金が減っていったとしても、

長期的には信用が積み重なって、

数字・お金が付いてくるかもしれない。

 

 

モノが足りなかった時代の常識から、

モノが余っている時代の常識へ。

 

今はその移行期。

 

幸せのカタチは人それぞれ。

いろんな価値観があっていい。

 

清濁を合わせ呑んだカタチで、

お互いに分かり合えたらいいなと思います。