究極の愛、調和、包み込み、和の心、悟り、大丈夫、これでよし etc、

成功哲学も、宗教も、道を突き詰めた人は

言葉は違えど本質的にはみんな、

同じ考え方を教えてくれているように思える。

 

それはつまり、全肯定の考え方。

 

全肯定とは、全肯定を否定する人さえも肯定する事。

 

ただこの考え方を人に伝えるのはとても難しい。

 

なぜならそれはきっと、

「伝えるもの」ではなくて、

「伝わるもの」だから。

 

 

誰かの教えを

「これは素晴らしい考え方だ!」

と頑張って伝えよう・広めようとした時点で、

全肯定から外れるケースが多い。

 

それが、すれ違い・争いに繋がる原因のような気がする。

 

なぜなら、何かを正しいと伝えようとした時点で、

その反対にあるものを否定する事になってしまうから。

 

 

例えば、

「やりたい事をやったらいい」という言葉に強く共感して、

「やりたい事をやる事が正しい」と思ってしまうと、

”やりたい事をやっていない人”を否定する事になりがち。

 

”やりたい事をやっていない人”も、

「やりたい事をやらない」

という選択をしているという意味で、

その相手はやりたい事をやっているのかもしれない。

 

 

 

例えば、

「本音で話せばうまくいく」

とアドバイスをする研修講師が、

「本音で話したくない」

という受講者を否定するのも、

何か気持ちが悪い感じがする。

 

なぜなら、その人にとって、

「本音で話したくない」

というのが本音かもしれないから。

 

 

何かを否定して強制的に伝えようとしても何かがズレる。

 

本質的な考え方を伝えるには、

相手を否定をしないで、

自然に伝わる状態を作るしかないような気がする。

 

 

あなたはあなたのままで素晴らしい。

素晴らしくなかったとしても素晴らしい。

問題を問題と思う事が問題。(問題なんてないというか、あってもなくてもどっちでもいい)

全部オッケー。なんでもあり。

 

こんな否定をも肯定する全肯定の考え方は、

いろんな言葉・概念を消失させ、争いをなくすはず。

 

 

例えば、

不倫を全肯定した多夫多妻が認められた国家では、

不倫という言葉・概念が消失して不倫問題がない。

 

例えば

セクハラ・パワハラという言葉・概念がなかった30年前は、

良い悪いは別にして、

今で言うセクハラ・パワハラに値する行為をされたとしても、

そう認識できないために大きな問題・争いにならなかったと言う。

 

幸せが当たり前の世界では、

幸せという言葉・概念が存在しない。

 

不幸を知っているからこそ幸せが認識できるのと同じように、

平和が当たり前の世界では、

平和という言葉・概念が存在しなくなる。

 

 

つまり本当の世界平和とは、

世界平和という言葉・概念が消失した状態。

 

だから

「世界を平和にしなければならない!」

と言っている時点で世界平和にはならない。

 

「今は平和でいいよね!」

と言っている時点で平和ではない状態を意識してしまっている。

 

「世界平和っていったい何?」

と認識できないくらいの状況が本当の世界平和。

 

そんな状態を作るには、

「戦争反対」と言って、

戦争を否定するのは逆効果なはず。

 

「平和」という言葉を使って、

平和ではない状態を否定するのは逆効果なはず。

 

 

 

もし今、

「世界平和っていったい何?」と思えていないのであれば、

世界平和という状態を作りたいのであれば、

戦争に対して否定する事なく、

その方法もある事を認めた上で、

「そんな戦争なんてして何が嬉しいんですか?」

と賛成も反対もできないくらい

意味がなくアホに思えるくらいにすればいい。

 

それは、

所有を肯定した上で、所有の意味・価値をなくしたり、

国境を肯定した上で、国境の意味・価値をなくしたり、

お金を肯定した上で、お金の意味・価値をなくしたり、

する事ができれば近づく。

 

 

全肯定の世界観。

 

それはきっと、すべてに対する執着を外す事。

 

諸行無常と言われるように、

すべては移りゆくもので、曖昧なもの。

 

曖昧なものを、

言葉にして白黒ハッキリさせようとするからこそ、

矛盾が生じて正義と正義で争いが生まれる。

 

 

それをなくすには、

曖昧なものを曖昧なまま捉えて受け入れる事。

 

 

 

これは数千年前から宗教等で伝えられていて、

それなりの人には伝わっているはずの事。

 

わかっているはずの事なのに、

自分の心がまだ平和になっていないとしたら、

きっと何か理由があるはず。

 

それが何かは、よくわからないけれど、

インターネットやスマートフォンの普及、

AIやロボット技術によって、

全体的に何かが大きく変わる兆しが見えてきたように思える。

 

これからさらなるイノベーションで

乗り越えられるようになっていくのかもしれない。

 

 

戦争反対と言って戦争する。

イジメはダメだと言って加害者を虐める。

 

少なくとも、

そんなコントみたいな事に心を痛めなくて済むような社会は、

近づいてきているような気がする。