変わる事は素晴らしい。

 

暗かった人が明るくなったり、

太っていた人が痩せたり、

悩み・苦しみが幸せに変わったりする。

 

変わる事でコンプレックスを乗り越える喜びが得られる。

新しい刺激的な世界を味わえる。

 

ステキな人や教えに出会って、

自分を変える喜びを手に入れた人ほど、

その喜びをシェアしたくなる。

 

それは例えば、

「引き寄せの法則」のような

理想の未来を手に入れる方法。

 

「ない」を「ある」に変える「幸せのシェア」は、

今後さらに広まっていくに違いない。

 

 

とはいえ、今のところ、

「引き寄せの法則」みたいな方法は、

理解するのも、実践するのも難しく、

まだまだ浸透していない。

 

「引き寄せ難民」と言われる人が生まれる理由は、

「変わる事は素晴らしい」

がいつの間にか行き過ぎて、

現状否定をベースにした

「変わらなければいけない」

に変わってしまうから。

 

人は、足りないものの方が探しやすいが故に、

「ある」ではなく「ない」に注目してしまって

短所を直そうとしてしまいがち。

 

すると自分を愛することができず、

自分を信じる事ができず、

理想に近づかせられない自分を責めて苦しくなる。

 

 

「やりたい事をやったらいい」

とよく言われるけれど、

「やりたい事ができていない事」

が悪い訳ではない。

 

やりたい事をやる道中にいるだけ。

 

それを

「やりたいことができていない自分はダメなんだ」

と解釈して、

「自分を変えたい」

と悩んでも、

その根底に現状の自分を否定する気持ちがあるからうまくいかない。

できない自分を否定し続けるスパイラルにハマる。

 

 

「お金がない」「時間がない」「モテない」etc、

不足する何かが目に付いて、

現状否定したくなる気持ちは誰しもあるかもしれない。

 

でも、

今の自分は自分のままで充分に素晴らしい。

「ない」状態も含めて素晴らしい。

 

この感覚を味わった時、

涙が溢れるくらい感動する。

 

そして自然な感じで理想も幸せも

手に入れられるようになる。

 

 

他人の芝生は青く見えがち。

 

お金がない時は、

お金がある人を羨ましく思える。

 

時間がない時は、

時間がある人を羨ましく思える。

 

彼氏・彼女がなかなかできない時は、

モテる人を羨ましく思える。

 

「ない」ことは悪い事だと感じてしまいがちだけれども、

「ある」ことによるデメリットだってある。

 

お金も、時間も、恋人も、

それらがいつもある状況だと、

なかった時に味わえていた感動を味わえなくなる。

 

ものすごく感動する映画に出会った時の感情は、

もう一度見てもその感情は味わえないのと同じように、

「ない」からこそ、「ある」に変える感動が味わえる。

 

それは「ある」人からすると、

子供の幸せを見守るような

とても微笑ましく思えるような感情。

人によっては羨ましく思えるような感情。

 

知らない事を知る喜び。

できない事ができるようになる喜び。

手に入らなかったモノが手に入った時の喜び。

 

それらはすべてが「ない」状況だったからこそ味わえるもの。

 

 

もし世の中のすべてを手に入れ切った

権力者・大富豪・スーパースターがいたとしたら、

彼らはある意味退屈なのかもしれない。

「ない」を探すのが大変で困っているのかもしれない。

イージーモードの人生に飽き飽きしているのかもしれない。

 

まわりから羨ましがられる割に、

言うほど喜びを味わえない事に、

その気持ちを誰とも分かち合えない寂しさに

モヤモヤしている人は多いはず。

 

 

大切な事は「ない」を肯定的に受け入れる事。

その先に「ない」も「ある」も

楽しめる最強の状態が手に入る。

 

近い将来、それは広まる。

 

そうなれば、

引き寄せブームが終焉するくらいに、

理想を手に入れたり、幸せである事が

当たり前な状況がやってくるだろう。

 

しかしそれはそれできっと、

退屈なのかもしれない。

 

みんなが

「もういつ死んでもいい!」

と思えるくらい幸せであるのが普通になった時、

人は逆の刺激・スリルを求めるようになる。

 

戦争が当たり前にあった時代の人に、

「将来、サバイバルゲームというものが流行って・・・」

と伝えても、お金を出して体験する人がいるなんて信じてもらえない。

 

お化けがいる事が信じられて、恐れられていた時代の人に、

「将来、お化け屋敷というものがあって・・・」

と説明してもその意味・価値をわかってもらえない。

 

それと同じように、

近い将来、今では考えられないような、

「やりたい事ができない状況を楽しむアトラクション」

がもっと広がっていくはず。

 

不便を楽しむ。

理不尽を楽しむ。

貧乏を楽しむ。

 

それは、

無人島体験、断食合宿、自衛隊研修、貧乏旅行 etc

今でもある。

 

今でも、衣食住に苦しんだ経験のある年配の方には、

なぜ若い人がお金を払ってまで、

苦しいを体験しようとするのか理解ができないはず。

 

 

今後さらに、

ブラック企業体験、失恋体験、病気体験 etc

今では信じられないアトラクションが生まれるだろう。

 

そして、そんな時代では、

今問題になっているような

パワハラ・セクハラに対する感情も違ってくるはず。

 

感覚的にはきっと

80歳のおじいさんから

「廊下でバケツ持って立っていなさい」

とか

「そんなに露出の高い服を着るのはお辞めなさい」

と言われた時の感情に似ている。

 

怒りや憎しみではなく、

何を言っているのか理解できなくて、

ただポカーンとするだけ。

 

もしくは、定番のお笑いネタを楽しむように、

「今時こんな事を言う人がいるなんて!」

と面白おかしく笑える感情になるはず。

 

 

 

「ない」はとても大切なもの。

 

今、人生を楽しめていないのであれば、

それはそれで素晴らしい事。

 

その経験があるからこそ、

人生を楽しめるようになった時、

とても深い感動が味わえる。

 

今わからないのであれば、

それも素晴らしい事。

 

わかるようになった時、

深い感動が味わえる。

 

すべてはもっと幸せになるため、

人生をより深く楽しむためのプロセス。

 

悩み・苦しみにも、

それを乗り越える喜びが隠れている。

 

今の自分は自分のままで充分に素晴らしい。

「ない」状態も含めて素晴らしい。

 

そうやって喜怒哀楽のすべてを、

肯定的にとらえて楽しんでいきたいです。