書籍でも講演でも

「自分のやりたい事をやろう」

とよく聞く。

 

でも、その正反対に思える

「やりたくない事をやるからこそ成功する」

という事も、教育の場でよく言われている。

 

巨人の星的な世界観が好きな人は、

「あのプロ野球選手だって、朝から晩まで苦しい練習を続けてきたから成功できたんだ」

と言う。

 

何かを諦めたコンプレックスのある人ほど、

夢を叶える難しさについて伝えたがる傾向にあるように思える。

 

 

成功者のすさまじい経験や、

苦難を乗り越えるための努力。

 

知ってしまうと嫌になるかもしれない。

 

「お医者さんになりたい」

と言っていた人が

医学部に入るための勉強量や、

かかる費用を知って諦めたり。

 

「オリンピック選手になりたい」

と言っていた人が、

オリンピック選手の練習量を知って諦めたり。

 

真面目に考えすぎると、

やりたい事を諦める原因になりがち。

 

でもその考え方はなんだか暗くて楽しくないと私は思う。

 

たしかに何かで成功するためには、

苦しい練習も必要かもしれないけれど、

考え方の順序が逆のような気がする。

 

 

やりたい事をやるプロセスで出てくる、

できたらやりたくない事。

 

本人にとって本当にやりたい事をやるためならば、

別に楽しくはないかもしれないけれど、

そこまで苦しまずに乗り越えられるはず。

 

それはきっと、

「欲しいバイク買うためにアルバイトをする」

「大好きな恋人に会いに行くためにお金を貯める」

みたいな事。

 

だからきっと成功する人は、

大きなリスクをリスクと思っていないからこそ動ける。

 

大変な事をそこまで大変と思っていないからこそ動ける。

 

人に迷惑をかけて嫌われる事も、

やりたい事をやるためなら

言うほど気にならないからこそ動ける。

 

それを外から見て分析して、

結果だけ見て勘違いして、

「苦しまなければ成功できない」

と教育の場で伝えようとしてしまっているのではないだろうか?

 

 

傾向として思うのは、

自分の人生を楽しんでいる人ほど

自然な形で幸せのシェアをしている。

 

まわりの人にも喜びを味わって欲しくて

「一度きりの人生、やりたい事をやって楽しんだ方がいい」

と明るくて楽しい話をする。

 

実際にやることは同じでも、

「苦しまない事を目的にするのか?」

「楽しむ事を目的にするのか?」

で相手に受け取られる印象も効果も全然違う。

 

例えば同じ

「勉強をした方がいい」

というアドバイスでも、

「勉強をしないといい大人になれない」

と伝えるよりも、

「勉強をした方がもっと人生楽しくなる」

と勉強の楽しさを伝えられた方が、

勉強が好きになりやすいはず。

 

 

個人的には、

いろんなパターンの自分の人生を楽しんでいる人達に、

教育に携わって欲しいと思うけれど、

現実的にあまりうまくいかない。

 

というのも、

「教育が好きで好きでたまらない」

という趣味レベルで教育を楽しめる先生は別にして、

自分の人生を楽しんでいる人ほど、

自分の時間をあえて他人の教育のためには使おうとしないから。

 

 

本当にどうしようもなく困っている人に対して、

頼まれてどうしても必要があれば動くかもしれないけれど、

彼らにはやりたい事がたくさんあって時間がない。

 

そんな彼らが、

1人1人の教育に時間を使うなんてできない。

 

また逆に、

良いか悪いか別にして、

自分の人生を楽しめていない人ほど、

時間が余っている。

 

「勉強をしなければ幸せになれない」

「もっとこうしなければ社会がおかしくなってしまう」

などと、教育に対して強い使命感があるために、

暗くて楽しくない話を広めたがる傾向にあるように思える。

 

 

それでもすべては必要・必然・ベスト。

そこにもメリットがある。

 

それはきっと

暗くて楽しくない話をする人がいるからこそ、

明るくて楽しい話をする人が輝くという事。

 

特にピュアな子供達は、

つまらない話は聞かないし、

楽しい話は聞く。

 

人生を楽しんでいる大人をすぐに見抜く。

 

そしてやりたくない事をやる事は、

本当にやりたい事を見つけやすくする

ガイドラインになり得る。

 

海外に住んでみて初めて日本の価値がわかるのと同じように、

やりたくない事をやるからこそ、やりたい事をやる価値がわかる。

 

やりたくない事をやった楽しくない経験があるからこそ、

本当にやりたい事が見つかった時、大きな力を発揮できる。

 

そのエネルギーで、

怒る人に対する対応もうまく身に付けて、乗り越えて、

自分のやりたい事をやれるようになる。

 

 

たとえ自分の子供が行っている学校が、会社が、

暗くて楽しくなさそうだったとしても、

それはいつか、明るくて楽しいコミュニティに出会うための充電期間。

 

もしくはそんな暗くて楽しくないコミュニティを

子供達の力で明るくて楽しいものにしていける大きなチャンス。

 

暗くて楽しくなさそうに見える環境にいる人を見ると、

介入したくなるかもしれないけれど、

その環境が楽しいか楽しくないかは

捉え方次第で絶対的なものではないはず。

 

もしそれが暗くて楽しくなかったとしても、

そこで得られる経験も人生においての大切な財産。

 

無理やり介入すればステキな機会を奪ってしまう事になりかねない。

 

もし本人がそこから本当に抜け出したいと願うなら、

きっと本人が何かを発信してくる。

自分から求めて動き出す。

 

まわりにできるのはそのサポートだけ。

 

 

 

今の時代、

学校や会社に行かなくても

困らない環境はある。

 

SNSやオンラインサロンなど、

人生を楽しんでいる人と繋がりやすい機会は整ってきている。

 

明るくて楽しいコミュニティはこれからもっと広まっていく。

 

軍隊教育の名残がさらに薄れて、

常識に縛られず個性を活かして行動する事が当たり前になっていく。

 

今はその移行期。

 

でも、

どれだけ素晴らしい環境が整っていたとしても、

何が幸せかなんて1人1人違う。

 

幸せはその本人にしかわからない。

 

誰かを幸せにするための教育なんて、

おこがましい事なのかもしれない。

 

 

自分が自分の人生を全力で楽しむ事。

 

子供にとって、部下にとって、社会にとって、

どんな教育がいいかなんて難しい事を考えなくても、

1人1人が全力で人生を楽しむ姿を見せる事が、

自然な形で幸せのシェアを広げていく

一番の教育になり得るのかもしれないです。