「相手が喜ぶ事をすればいいんだよ」

とアドバイスをくれる人はいるけれど、

何をしたら・何を言ったら相手が喜ぶかなんてよくわからない。

 

褒められる事を嫌がる人もいる。

 

同じ言葉でも、

いい意味にとらえる人もいれば、

悪い意味にとらえる人もいる。

 

「わかってもらえてない!」

と言って怒っている人は、

「それわかる!」

と言われ過ぎてもまた怒る。

 

わかってもらう事によって、

「わかってもらえている安心感」

を感じるケースもあれば、

「見透かされている気持ち悪さ」

を感じてしまうケースもある。

 

何でもいいから理由を付けて

感情的にただ怒りたいだけの人もいる。

 

特にコロコロ変わる女心がわからなくて、

すれ違っている人も多いはず。

 

 

私も以前はわかってもらえない寂しさを

よく感じていたけれど、

突き詰めて考えたら急にアホらしくなった。

 

というのも、

もし自分が出会うすべての人に

わかってもらえるようになっていたとしたら、

それはきっと面白くないヤツ。

 

わかってもらえないという事は

独自性があるという事。

 

みんなにわかってもらえるようになったら、

独自性がなくなって、

今味わえているはずの喜びを

味わえなくなってしまうに違いない。

 

すべての物事は表裏一体。

 

どちらを選んでも、

メリットとデメリットがある。

 

夏になると、

「早く寒い冬が来て欲しい」

と文句を言って、

冬になると、

「早く暑い夏が来て欲しい」

と文句を言うような事が

そこら中で繰り返されているように思える。

 

でもそれも人間らしい素晴らしさ。

 

きっと最終的に行き着くところは、

正解なんてなくて、

「なんでもOK」

なのかもしれない。

 

 

物事を突き詰めて考えると面白い。

 

「やりたい事をやったらいい」

とよく言われるけれど、

実際にやりたい事ばかりやっている人は、

やりたい事をやる喜びが味わいにくくなって、

やりたくないはずの事までやりたくなる。

 

「成功したい」

と言う人はよくいるけれど、

本当に成功ばかりしてきた人は、

成功する事がつまらなくなって、

失敗を求めて過激で難しい事をしたくなる。

 

「お金はあればあるほどいい」

と思われがちだけれど、

お金があるためにやっかい事が増えて

ウンザリしている人もいる。

 

結局、他人の芝生は青く見えるだけ。

 

片一方しか体験していない人が、

もう片方を体験(疑似体験)する事で、

自分の”いい塩梅”がわかりやすくなる。

 

そう思うと今、

常識的・道徳的に正しいと言われている事が、

本当正しい事なのかよくわからなくなる。

 

 

でも、色々な人に

話を聞かせてもらってわかったのは、

「何かをして欲しい欲求」の裏側には

「何かをして欲しくない欲求」もあるという事。

 

例えば、

「仕事を辞めてゆっくりしたい」

と言っていたはず人が退職すると、

自分の居場所が失われて不幸を感じる事もある。

 

「あんな旦那と一緒にいたくない」

と文句を言っていたはずの人が、

本当に離れ離れになると、

「もっと大切にしておけばよかった」

と後悔している事もある。

 

きっと人の感情は曖昧にでできていて、

「20%賛成で80%反対」

「ここの10%は好きだけど残り90%は嫌い」

みたいに本来ハッキリさせる事が

できないものなような気がする。

 

だから

物事をYESかNOかでハッキリさせようとすると、

もう片一方にあった残りの何パーセント分を

切り捨てる事になってしまって、

名残惜しい感じになったり、

動けなくなったりするのかもしれない。

 

 

「やりたいけどやりたくない」

「幸せなのに幸せじゃない」

なんて事は、

論理的に考えるとあり得ないけど

感情的に考えるとよくある事。

 

だから、

「やりたいのかやりたくないのかどっち?」

と聞かれても答えられない人がいる。

 

嬉しいはずのチャンスが訪れても、

嬉しい事と同時に嬉しくない事も入ってくるとわかって、

複雑な気持ちのままチャンスを掴めない人もいる。

 

頭ではわかっていても、

心が付いて来ないというのは

きっとこういう状況なんだと思う。

 

 

以前クラシック音楽が好きだと言う人に

「どういうところが好きなの?」

と聞いた時、

好きな曲が数曲あるだけで

クラシック音楽全般が好きな訳じゃないと判明して驚いた事がある。

 

映画やセミナーの感想も似ている。

 

2時間の中で

1つでもよいと思える事があっただけで

よかったと喜べる人もいれば、

1つでもよくないと思える事があっただけで、

よくなかったと喜べない人もいる。

 

きっと人が喜べるかどうかは、

よいところとよくないところ、

どちらにフォーカスしているかによるもの。

 

「相手が喜ぶ事をすればいいんだよ」

と言うのは楽だけど、

1つでもよくない事があっただけで

喜ばない人に当たると大変。

 

ビジネスでも、

喜びやすい人を多く集めれば

満足度が高くなって口コミ・紹介が広がる。

 

逆に喜びにくい人を多く集めれば

満足度が低くなって言うほど口コミ・紹介が広がらない

というものなのかもしれない。

 

 

よいところを探す能力が高い人ほど

今を幸せだと感じやすい。

 

また悪いところを探す能力が高い人ほど

今を不幸だと感じやすい。

 

かと言って、

今を不幸だと感じている人が悪い訳でもない。

 

今を不幸だと思える人は、

将来もっと幸せな状態になれると思っている

ある意味アグレッシブな人。

 

そこにはまた別の味わい・楽しさがあるもの。

 

何かをした時、

相手が喜んでくれていないように見えても、

100%不満な訳でもない。

 

何%かは喜んでいて、

残り何%かの不満の方を言ってきているだけ。

 

不満を言ってくれるのも、

改善できると思ってくれているからこそ。

 

不満を見つける事が得意な人に

言いたいことを言ってもらえる関係性があるというのは

とても素晴らしい事。

 

改善を繰り返す事ができて、

より素晴らしい結果に向かう可能性が高いはず。

 

 

理屈で考えるほどに、

白黒ハッキリさせたがってしまうけれど、

白黒ハッキリさせようとしすぎるからこそ

争いになってしまいがち。

 

好きと嫌い、賛成と反対、

いろんな感情が入り混じるのが人間らしさ。

 

矛盾しているようで矛盾はしていなくて、

並列的に同時に存在しているもの。

 

そんな曖昧な感情を曖昧なままとらえて

理解・改善しようとする事が

とても大切な事だと思うのです。