「会社を永続させる事が目的だ」

「社員の幸せが一番大切だ」

などと言う人に会うと、

教科書っぽく感じてしまって、

「それどこまでわかって言ってるの?」

とツッコミたくなる時がある。

 

そんな聞こえの良い言葉だけが一人歩きして、

言葉の意図や本質が抜け落ちて

伝わってしまっている事が

とても多いような気がする。

 

 

「水を飲むな!」

という言葉の意図を

わかって言っているコーチは

「水を飲め!」

と言うタイミングもわかっている。

 

何もわかっていない人が

ただの感情論・根性論で

なんでもかんでも水を飲む事を禁止するのは危ない。

 

「もっと勉強しろ!」

という言葉も同じ。

 

何のために勉強をするのか

その意図をわかっている人が

相手を応援するために言うのなら伝わるかもしれないけれど、

「自分が批判されたくないから」

「なんとなく不安だから」

という自分のエゴで勉強を強要しようとしては

お互いを苦しめる。

 

「アイツが勉強していないから悪いんだ!」

と自分の責任転嫁のために怒る人もいる。

 

何かの目的・行動のために勉強するのではなく、

行動したくないからと勉強に逃げている人もいる。

 

そもそも勉強する事が正しくて、

勉強しない事が間違っている訳でもない。

 

片一方だけが正しいみたいな考え方は、

なんだか本質からズレているような気がして違和感がある。

 

 

「頑張らなくてもいいんだよ」

というアドバイスだって、

きっと元々は頑張り過ぎている人に向けた言葉。

 

頑張る事にも価値があるし、

頑張らない事にも価値がある。

 

頑張らない事が正しい訳でもなく、

頑張る事が間違っている訳でもない。

 

会社の永続だって、

お客様や社員に対する価値・満足を

充分に提供できる前提があっての話。

 

会社を守るためだからと、

お客様を騙したり社員を犠牲にするのは本末転倒だし、

それはただ自分のプライドを守りたいだけのように感じてしまう。

 

有名人・成功者が言っていた素晴らしい言葉の一部を

表面的にパクって誰かに伝えようとしたところで、

全く違う意図になってしまう事もあるような気がする。

 

 

そんな、わかっていない人が

わかったフリをして教科書っぽい言葉を伝える事に対して

気持ち悪さを感じていたけれど、

それはそれで大切な事なのかもしれない。

 

意図がわかっている人しか発信しない状況だったとしたら、

素晴らしい言葉・教えも伝わらずに埋もれてしまう。

 

意図がわかっていない人でも伝えてくれるからこそ、

それを必要としている人の元に届くようにできるかもしれない。

 

また意図や目的がどんなものだったとしても、

結果としていい方向にいけばいいという考え方もある。

 

「トイレ掃除をすると業績が上がる」

と言う人がいたけれど、

少なくともそれを信じて、

業績を上げるためにトイレ掃除をしているうちは

結果に繋がってこない。

 

元々はきっと、

心を整えたり、感謝の気持ちを育んだり、執着を外す手段として

トイレ掃除があったはず。

 

それに対して、

「1週間続けたのに変化がないじゃないか!」

と怒ったり、

「俺がやっているんだからお前もやれ!」

と社員にアピールしているようでは

本来の意図とズレている。

 

でも、そんな人に対して最初から、

「トイレ掃除をしても業績は上がらないよ」

と伝えていたら、

トイレ掃除をしようとさえ思わなかったに違いない。

 

「業績が上がるかもしれない」

というお土産が目当てだったとしても、

トイレ掃除にチャレンジしてみようと思わせられたのは

1つの素晴らしい結果。

 

目的やキッカケはどんな理由であったとしても、

結果として、いい作用をもたらしていたとしたら

それはそれで素晴らしい事。

 

やっていく中で自然に執着が外れて、

結果に繋がる人もいる。

 

伝える人は、ある意味、

必要悪を認めた上で

伝え広めようとしているのかもしれない。

 

 

 

言葉も行動も、

その奥にある心が

その言葉・行動を関連づけている。

 

ステキな心の状態でいれば、ステキな事が起こり、

イライラした心の状態でいれば、イライラする事を引き寄せる。

 

少なくとも、

ステキな心の状態でいれば、

何事も肯定的に解釈する事ができる。

 

そう思うと、

何を言ったとしても、

発言に対して過剰な反応するのはイライラした心を持った人。

 

「空気が読めない人に、空気が読めないことを言っても、空気が読めない人だから大丈夫」

と言っていた営業マンがいたけれど、

同じように自分都合で一部を切り取った言葉だったとしても、

肯定的にとらえられる人にとっては大丈夫。

 

結果として、「イライラした人発見器」のように作用する事になる。

 

 

炎上商法であったとしても、

人を煽るような言葉であったとしても、

それが結果として行動を変える事・みんなを笑顔にする事に繋がっていれば、

それはいい事なのかもしれない。

 

 

「お金・結果のためなら何をしてもいい」

と考える人は個人的には苦手だけれど、

そんな人をも肯定する事で器が広がって、

やりたい事がよりスムーズにできるようになったり、

毎日がより楽しく過ごせるようになるのかもしれないです。