昔読んだ探偵マンガで、

ウソをついた人に対して

「ウソをついてまで守らなければいけなかったもの」

を解き明かしていくプロセスに感動した覚えがある。

 

この考え方はきっと、

相手を深く理解し受け入れて、

争い事を根本的に解決する方法になるはず。

 

酷いと思えるような事をする人に対して、

「なんでそんな酷い事をするんだ!」

と怒っても、罰を与えても、

収まるのは一時的。

 

酷いと思われるような事をする人には、

そうせざるを得なかった背景がある。

 

その背景を推測・共有する事で、

より深く分かり合えて、

根本的な課題解消に繋がるはず。

 

 

何かをする人には、

そうせざるを得なかった背景があるとわかると、

ほとんどの人間関係の悩みは解消される。

 

例えば、

羨ましくて嫉妬している相手は、

実は羨ましくない人かもしれない。

 

私はすごいんだと

必要以上にアピールをする人は、

そうせざるを得なかった背景がある人。

 

本当に自分がすごいと信じられていたら、

必要以上にアピールをしなくてもいいはず。

 

本人が自覚しているかどうかは別にして、

それは満たされていない事の裏返し。

 

みんなにチヤホヤされなければ自分の心を満たせない人と、

みんなにチヤホヤされなくても自分の心を満たせる人。

 

どちらが満たされているかを考えると、

嫉妬して足を引っ張ろうなんて感情は消えて、

同じ人間として応援したくなるかもしれない。

 

同じように

結果を出さなければ自分の心を満たせない人と、

結果を出さなくても自分の心を満たせる人。

 

お金がなければ自分の心を満たせない人と、

お金がなくても自分の心を満たせる人。

 

根拠がなければ自信を持てない人と、

根拠がなくても自信が持てる人。

 

他人の芝生は青く見えるだけ。

 

他人を見て尊敬して自分をプラスに導く分にはいいけれど、

他人に嫉妬して余計に苦しまなくてもいいはず。

 

必要があるからこそ何かが手に入る事を考えると、

今何かがないという状況にあるならば、

満たされていてその必要がないだけかもしれない。

 

そして、もしかすると、

多くの何かを手に入れて羨ましがられている人は、

何も持っていなくても自分の心を満たせる人を、

心のどこかで逆に羨ましいと思っているかもしれない。

 

 

組織においても、

「あの人が協力してくれないからできない」

などと、他人や環境のせいにして、

何も動かない人の話を真に受けすぎると

あまりいい事がないような気がする。

 

なぜなら、

できない事を誰かのせいにする人は、

誰かのせいにせざるを得なかった背景

があるという事だから。

 

自分のマネジメント能力不足を棚に上げて、

結果が出ない事を

部下やお客様のせいにしている姿は

とてもカッコ悪い。

 

結局、自分のせいにされたくなくて

言い訳に使っているケースが多い。

 

 

社員が会社を辞める理由についても同じ。

 

給与・休みが少ない

と言って会社を辞める人は多いけれど、

特に小さい会社なら、

一緒にそれらを改善できる方法を

考えて行動すればいいだけの事。

 

だから会社を辞めるというのは

飛躍しすぎな気がする。

 

でもその相談・行動さえしないで

辞めようとするという事は、

・その事を相談できるほどの人間関係がない

・相談して改善してまで会社にいたくない

などもっと別の感情的なところに行き着く気がする。

 

相談もせずに辞める社員の意見を

そのまま真に受けて、

給与を上げても、

休みを増やしても、

それはただの短所是正で、

会社は言うほど改善しない。

 

 

「もっと何かさえあればうまくいく」

というのはたいてい、

ただの思い込み・勘違いであるケースが多い。

 

売上が上がれば、

お金がたくさんあれば

争いは起こらなくなると思っていた時もあったけど、

それだけでは争いは起こる。

 

お金がない時は一致団結できていた会社が、

儲かり出すと

「アイツの給与は高すぎだ!」

などとお金で揉めるケースはよくある。

 

分け与えられるほど

何かが満たされたとしても、

それ以外の別の何かで揉めるだけ。

 

 

歴史を振り返っても、

食べ物が充分にない時代は、

食べ物さえたくさんあれば

争いが起こらなくなると

信じられていた時代があったはず。

 

仕事がなくて生活に困っていた時代は、

仕事さえたくさんあれば、

みんなが幸せになれると

信じられていた時代があったはず。

 

実際、昔仕事がなくて

生活に困った経験のある年配者は、

選ばなければたくさん仕事があるにもかかわらず、

お金がないと悩む今の若い人の気持ちがわからないと言う。

 

「悩んでいる暇があったら寝ずに働け!」

「ツベコベ言わずやれ!」

と会話が噛み合わない。

 

時間だって、

やりたい事をする余裕がないほど忙しい時代は、

「もっと自由な時間さえあれば」

と思われていたかもしれないけれど、

自由な時間が多い今では

「やりたい事が何かわからない」

と贅沢な悩みを抱える人が増えた。

 

喉から手が出るほど欲しかったはずの時間を、

退屈だからと暇潰しに使う人もいる。

 

時間がなかったら

考える時間がなくて悩まないけれど、

時間があるからこそ

自由に選べる選択肢がたくさんあるからこそ、

逆に何をしたらいいのか悩む。

 

 

結局、人の悩みは尽きない。

 

「仕事があるから早く家に帰れない」

と言っていた人が、

ノー残業デーになると喫茶店で時間を潰すのは、

早く家に帰りたくない背景があっただけ。

 

だから、

「仕事さえなくなれば」

と文句を言っている人が

ベーシックインカムみたいなもので、

仕事をしなくても生きていける時代が来たとしても、

今度は別の文句を言うようになるだけになるような気がする。

 

 

でも、悩むのも悪い事ではなくて、

悩みはチャレンジしている証拠。

 

嫉妬するのも理想がある事の裏返し。

 

何もかもが

そうせざるを得なかったからこそ起きていると思うと、

すべてはステキな何かに気が付かせてくれる学び。

 

 

当たり前すぎて

当たり前の幸せに気づけないのが人間らしさ。

 

ムダに思える事も

後で振り返ると役に立っている。

 

失敗があるからこそ成功があって、

不幸があるからこそ幸せがある。

 

そんな心の揺れ動きを

これからも楽しんでいきたいです。