「努力は必ず報われる」

「夢は必ず叶う」

と受け売りで言っている人が苦手。

 

・人を元気づける役割を演じているのか?

・わかっていなくてそう思い込んでいるのか?

・すべてをわかった上で言っているのか?

色々と考えさせられてしまう。

 

簡単に「必ず」「絶対」と断定する人に会うと、

そうでない事例を突き付けて

意見を詳しく聞いてみたくなる。

 

 

個人的に好きなのは、

「努力は報われるとは限らないからこそ面白い」

「夢は叶うとは限らないからこそ面白い」

という考え方。

 

もし努力の量が必ず結果に繋がるのなら、

昔から長くやっている人が絶対的有利になって、

若い人が勝負事で敵わない

夢も希望もない社会になるかもしれない。

 

努力の量にかかわらず、

後から参加した人でも、

勝てる可能性があるからこそチャレンジしたくなる。

 

叶わない夢もあるとわかっているからこそ、

たくさん夢を持って、

たくさん行動する中で走りながら考える事ができる。

 

 

そもそも、

報われるかどうかわからないからこそ努力であって、

必ず報われるとわかりきっている努力は

努力ではないような気がする。

 

叶うかどうかわからないからこそ夢であって、

必ず叶うとわかりきっているような夢は

夢ではないような気がする。

 

例えるなら、

数億円持っている人が

「プリウスを買うために努力しているんです」

「プリウスに乗るのが夢なんです」

と言っているようなもの。

 

本人がそう思うのは自由だけれど、

それはきっと努力でも夢でもないはず。

 

そして、

簡単すぎるゲームがつまらないのと同じように、

夢に辿り着くプロセスが、

手軽で簡単になりすぎてしまったら、

努力や夢の価値も醍醐味もなくなってしまう。

 

さらに言えば、

「努力は必ず報われるんです」

「夢は必ず叶えられるんです」

という話に感動する人がいるのは、

「努力は報われるとは限らない」

「夢は叶うとは限らない」

と思われているからこそ。

 

夢も努力も元から

儚いものなのかもしれない。

 

 

とはいえ、

「夢は必ず叶う」

「努力は必ず報われる」

という話にも価値はある。

 

そういう話をする人は、

もしかしたら、

・夢が本当に叶うか?

・努力が報われるか?

はどちらでもよくて、

「頑張っている人を応援したい」

「言葉に勇気付けられて一歩前に進められたらいい」

と思って話してくれているかもしれない。

 

本当に伝えたい事は、

「報われない努力をした経験にも価値があって、違う意味できちんと報われている」

「叶えられなかった夢を活かす事で、夢が叶えられる」

みたいな事かもしれない。

 

頑張れば頑張るほど、それでも失敗した時のショックは大きい。

それ以前に、チャレンジするために踏み出す第一歩は重い。

 

そんな頑張る人の応援メッセージとして、

よく話されているのではないだろうか。

 

 

とはいえ、

「夢は必ず叶う」とは夢を叶えた人が言う話。

「努力は必ず報われる」とは、努力が報われた人が言う話。

 

それはうまくいった人の言い分。

 

その裏側には、

数え切れないほどの、

夢が叶えられなかった人、

努力が報われなかった人がいる。

 

テレビに映る有名人に憧れて、努力して、

それでもほとんどの人が

有名人みたいにはなれずに終わっていく。

 

そんな人だって、

途中で諦めたから

努力が足りなかったから

夢が叶えられなかった人ではないはず。

 

成功者の成功部分だけが取り上げられすぎて、

失敗や挫折、負ける事が悪い事と思い込まれてしまったら、

チャレンジしにくくなっていく。

 

報われなかった努力も、

叶わなかった夢も、

きっと1つのプロセスであってステキな経験。

 

すべてに意味があって、価値がある。

 

 

「努力は報われるもの」

「夢は叶うもの」

と簡単に思い込みすぎると人は打たれ弱くなっていく。

 

チャレンジする事が悪い事みたいになってしまう。

 

「努力は報われない時もあるけれど、報われたら嬉しいもの」

「夢は叶わない時もあるけれど、叶ったら嬉しいもの」

と基準を上げすぎない事がきっと大切。

 

「失敗しないで成功したい」

というニーズがあるのもわかるけど、

「うまくいかない事もあるからこそ面白い」

という考え方がベースにある事で、

チャレンジ・成長の醍醐味を味わいやすくなるような気がします。