自社の商品・サービスを

もっと安く、もっと良くする。

 

企業として、事業として、

当たり前なこの考え方は、ある意味、

自分達の存在意義とのせめぎ合い。

 

商品・サービスを

「もっと安く」と

頭を使って良い工夫が

できているうちは大丈夫。

 

でも、

インパクトのある改善アイデアが出尽くすと、

「もっと安く」するために、

自分達の人件費や利益を

削るところに行き着く。

 

儲からなくなって、

中間業者を削っていくと、

最終的には自分達の会社が

削られるような状況に辿り着く。

 

「もっと良く」という考え方でも同じ。

最終的に行き着くのは、

今の自分達の商品・サービスを

必要としなくなるほどの

破壊的イノベーション。

 

自分達がしなくても誰かがやる事を考えると、

どんな事業にも寿命があるように思える。

 

 

例えば、お金の計算。

昔から使っていたそろばんが、

電卓になって、レジ・パソコンになって、

お釣りが自動で出てくるようになって

計算をしなくても済むように進化した。

 

お金の計算が大変だった時代には価値のあった

そろばん検定・電卓技能検定も就職にいらなくなった。

 

「もっと安く」「もっと良く」と頑張った

そろばん・電卓を作る人も、

社会人向けにそろばん・電卓を教える人も、

技術の進歩でほとんどいなくなった。

 

電子マネー、セルフレジ、クラウド会計サービス、

さらには無人コンビニなどと進化するにあたって、

お金の計算はもっといらなくなる。

 

きっと現金なんて使わない未来の子供から

「お釣りって何?」

と言われるに違いない。

 

 

 

困り事を解消したり、

もっと便利にしたりを突き詰めると、

「そもそも、それさえ必要ない」

というところに辿り着くようにできている気がする。

 

もっと安く、もっと良くするために、

破壊的イノベーションで、

お金の計算に関わる商品・サービスが消える。

 

交通手段だって、

早く安く快適に移動する手段で競争しているところに、

「そもそも移動しなくても、テレビ会議でいいんじゃない?」

と新しい価値・生活スタイルを提唱するような

破壊的イノベーションによって、

「もっと安く」「もっと良く」と

頑張ってきた既存事業は衰退していく。

 

 

商品・サービスに

かかっているコストのうち、

原価が占める割合はたかが知れている。

 

たいてい一番高いのが人件費。

 

企業や既得権益者に

支払うコストもバカにならない。

 

もっと安く、もっと良く、

困り事の解消や便利さを突き詰めるほど、

そこに人も会社もいらなくなる。

 

そう思うと、ある意味、

会社もビジネスマンも、

「あなたは利益・人件費以上の貢献をしていますか?」

と競争の中で、経済のシステムから、

常に突き付けられているようなもの。

 

昔はチヤホヤされていた企業・事業が、

終わる時は呆気なく消えていくようにできている。

 

 

経済的に見ると、

これは大変な事。

 

競争に勝つ事がいい事で、

競争に負ける事が悪い事という価値観だと苦しい。

 

でも、

豊かさや幸福感という側面から見ると、

意外に悪くないかもしれない。

 

なぜなら、

破壊的イノベーションは、

やらなければならなかった仕事から解放されて

人がより自由になる事に繋がるから。

 

そして、昔は必要だった商品・サービスが消えると

その商品・サービスは趣味として嗜む形に昇華する。

 

思えば、昔の人にとって、

衣食住とは命に関わるものだった。

 

・衣:寒さを凌ぐもの、

・食:お腹を満たすもの

・住:雨露をしのぐもの

だったのに、今では、

・衣:オシャレ

・食:グルメ

・住:心地よさ

を求める趣味に変わった。

 

農業も、趣味としての園芸になり、

裁縫も、趣味としての手芸になった。

 

そろばん・電卓も1つの趣味。

 

鉄道好き・車好き・ツーリング好きな人がいるように、

移動手段も趣味。

 

そう思うと、

今仕事だからと嫌々やっている事だって、

近い将来、お金を払ってする趣味に変わるはず。

 

実際今でも、

お金を払ってまで魚釣りする人がいる。

お金を払ってまでボランティアをする人がいる。

 

暇つぶしにお金を払うなんて事も、

一昔前ではあり得ない価値観だったのに、

今ではエンタメ産業として一大事業になっている。

 

 

理屈で物事を考えると、

「それ意味あるの?」

「それ価値あるの?」

と言いたくなってしまうかもしれない。

 

「仕事=お金を稼ぐ手段」

と思っている人は多いかもしれない。

 

でもきっと、仕事の本質は、

意味・価値を求めてお金を稼ぐ事ではなくて、

人の役に立っている実感を得る事。

 

仕事は、

若い人と年配の人、男性と女性、頭のいい人と悪い人etc、

全く志向の異なる人間を繋ぐコミュニケーション手段になって、

誰かと力を合わせて、誰かの役に立てる喜びを生み出す。

 

たとえ、AI・ロボットが浸透して、

人が仕事をしなくて済むようなったとしても、

仕事みたいなものは趣味として残る。

 

 

 

企業も事業も、

いつかは終わるようにできている。

 

適正な寿命があるのが自然。

 

終わるのも悪い事ではなくて、

進化のために避けては通れない道。

 

肯定的にとらえて、

楽しく乗り越えていきたいです。