「私、趣味がないからダメなんです」

と言う人に、

「この前の休みの日は何してたんですか?」

と聞くと、

「家で犬とずっと戯れていただけで何もしてません」

と答えられて驚いた。

 

「それって犬と遊ぶ事が趣味じゃないんですか?」

と聞くと、

「えっ、犬と遊ぶのは趣味って言うんですか?」

と自分で趣味を認識できない様子。

 

犬が大好きで、

犬の事を嬉しそうに話すのに、

自分が犬と一緒にいる事が好きだと認識できない。

 

1日中犬とずっと遊んで楽しんでいたのに、

「せっかくの休みなのに何もできなかった」

と自分を責める。

 

「好きな事・やりたい事がわからない」

と悩んでいる人の中には、こんな感じで、

ただ認識できないだけのケースも多いはず。

 

 

 

好きな事・やりたい事は

当たり前すぎて自分でなかなか気付けない。

 

もう既にやっている事も多い。

 

「まわりから評価される事=好きな事」

「大きな夢=やりたい事」

とは限らない。

 

・歯を磨く事

・美味しいご飯を食べる事

・家でゆっくりする事

だって好きな事・やりたい事に当てはまる。

 

でも、

それに気が付かない・気が付けないのはなぜだろうか?

 

 

考えられる大きな理由は、

自分の理想とのギャップ。

 

自分の好きな事・やりたい事が

もっと高尚な事だと思い込んでいる時、

「こんな事が趣味ではダメだ」

と自分の好きな事・やりたい事にフタをする。

 

「みんなを笑顔にする事が私の夢です」

みたいなカッコいい事を言う人に憧れるのはいいけれど、

今の自分を否定すると苦しい。

 

そうなると、

今の自分の好きな事を好きだと認めたくなくて、

今の自分のやりたい事をやりたい事だと認めたくなくて、

好きな事・やりたい事に気が付けなくなる。

 

 

趣味を聞かれた時、

スポーツ観戦とかゴルフ・アウトドアが趣味だったら、

聞いてきた相手と盛り上がりやすいかもしれない。

 

本当はもっと好きな事があっても、

ゴルフって言った方が場が盛り上がるという空気を読んで

ゴルフと答える人だっている。

 

でも、アニメとかゲームとか、

一般ウケしない事しか興味のない人だと、

言っても微妙な空気感になったり、

オタクと言われて面倒くさくなったりして、

趣味を言いにくくなっていく。

 

会社が休みの日でも、

お客様の顔が思い浮かんで、

仕事や仕事のための勉強をしてしまう人は

仕事が好きな人。

 

でも、

「仕事が趣味です」

と答えると、

「お前はつまらない奴だな」

と仕事が嫌いな人に

なぜかマウンティングを取られる事もある。

 

そこまでいかなくても、

「仕事が趣味」という答えは期待されていないとわかるので、

「趣味はありません」

と言う。

 

一般ウケする趣味で盛り上がっている人達の輪に入り込めない

一般ウケしない趣味を持つ人。

 

無意識に行われる

多数派による少数派の排除。

 

それが何度も重なると、

少数派の人はいつの間にか、

自分に趣味がないと思い込むようになっていく気がする。

 

 

私も含めて、

自分の趣味を言いにくいと感じる人は、

きっと、人の役に立つ事・価値のある事に

固執しすぎている。

 

1日中家にこもってゲームをすると、

「時間をムダにした」

と思ってしまいがち。

 

でも、

時間を忘れるくらいに楽しんだ事に対して、

「時間をムダにした」

ととらえるのはなんだか寂しい。

 

 

そもそも趣味は、

損得の概念で測れるものではないはず。

 

魚釣りが趣味の人に、

スーパーで買った方が安いとか言わない。

 

ガーデニングが趣味の人に、

食べられない花を育てても意味がないとか言わない。

 

損得で考えてしまえば、

99%の趣味は非効率でムダな事。

 

好きな事・やりたい事に、

意味も、価値も、成果も必要ない。

 

好きな事・やりたい事に対して、

「それをやって誰が喜ぶんですか?」

「それをやって意味・価値があるんですか?」

と聞くのは違う土俵の話。

 

理由なんて、

「好きだから」

「やりたいから」

だけで大丈夫。

 

経済合理性を考える流れに影響を受けすぎて、

役に立つ事・価値のある事をやらなければならないと思い込みすぎて、

自分の好きな事・やりたい事を無意識に否定してしまうのはもったいない。

 

 

仕事する事がいい事で

遊ぶ事が悪い事なのだろうか?

 

勉強するのがいい事で、

ボーッとするのは悪い事なのだろうか?

 

役に立たない事は悪い事なのだろうか?

 

価値のない事は悪い事なのだろうか?

 

「これやって意味あるんですか?」

と問い続け、ムダを排除して、

生産性を追求し続けると、

最終的に行き着くのは

人を必要としなくなる世界観。

 

「この仕事いらないですよね?」

と仕事を効率化し続けると、

自分の仕事・自分の居場所がなくなる。

 

そうなると、

人の役に立っている実感が感じられなくなって、

人としての心の欲求が満たされなくなる。

 

 

昔と違って、

今、私たちが買っているもののほとんどが、

生活必需品ではなくて嗜好品。

 

今、やっている仕事も、

生活する上で、生きる上で、

なくなっても困らないようなものばかり。

 

必要かどうかと言われると、

必要のないもので溢れている。

 

 

 

意味・価値という土俵で考えると、

「迷惑を掛けて生きるくらいなら死んだ方がいい」

「私は命をいただいて生きる価値のない人間だ」

と、人だって不必要になってしまう。

 

損得だけの価値観は

深みがなくてつまらない。

 

ムダを楽しむ。

ムダを愛する。

 

価値のないものに、

損得では測れない価値を見出す考え方が、

これからもっと重要になってくると思います。