イベントの場所取りで、

入り口が開いた途端に

ものすごい勢いで

階段を駆け上がる大人達。

 

「危ないから走らないでください!」

と係員は大きな声で注意する。

 

しかし、

係員の指示に従ったマジメな人は

朝早くから並んだのに

いい席を取れなくなる。

 

係員の指示を無視して走るズルい人が

後から来たとしてもいい席を取る。

 

もちろん罰則はない。

 

そればかりか、

走っていい席を取った人は仲間に賞賛され、

走らずにいい席を取れなかった人は、

仲間から”ドンくさい奴”とバカにされる事もある。

 

ルールを守ったり、

モラルを重視したりするマジメな人が

損をしているように思える。

 

このような事は

勝負の世界では嫌になるほどたくさんある。

 

 

 

勝負の世界は基本、

結果がすべて。

 

現実的に、

多少のズルをしてでも

結果を出した方が評価される。

 

たとえ、人格的にヤバい人でも、

その人が作り上げた技術、作品、数字は

きちんと評価される。

 

いくら清廉潔白でも、

結果を出せなければ見向きもされない。

 

紳士的と言われるスポーツの世界でさえ、

自分達に有利になるようルールを変えるロビー活動や、

優秀なコーチと練習に集中できる環境・ポジションを取るためのネマワシなど、

頑張って練習するだけではどうにもならないせめぎ合いが勝敗に大きく影響する。

 

清廉潔白だけではなかなか勝てない。

 

勝って結果を出すほど

組織の中で、社会の中で

発言力が増す事を考えると、

負けた方が

「こんな事はおかしい!」

といくら叫んでも

負け犬の遠吠えにしかならない。

 

理想を語るのはいいけれど、

郷に入れば郷に従わなければ前に進まない。

 

何の結果も出せていない新入社員が

「こんなズルい事はやりたくない!」

と文句を言ったって、

「それがわかっていて入ったんでしょ」

「そんなに嫌なら辞めたら?」

と、他の社員の士気を下げる迷惑な存在になって、

上司の目の敵にされるだけ。

 

今はコンプライアンスが厳しくなって、

「世の中は勝てば官軍なんだ!」

「法律なんて守らなくてもいいんだ!」

とあからさまに・大っぴらにやりすぎると、

目を付けられて処罰されたりする事は増えた。

 

それでも、

ズルい人はうまくやる。

 

マジメな会社より、ズルい会社の方が

安く商品・サービスを提供できて繁栄するのもよくある話。

 

少なくとも、

勝負の世界・大人の世界では、

目立ちすぎないように、

清濁併せ呑んでうまくやる事が求められやすい。

 

大人は子供に

正しさや優しさだけを教えたがるけれど、

それだけでは大人の世界に入った時、

ズルい人に都合良く使われるだけの人になってしまうかもしれない。

 

 

 

マジメな人vsズルい人。

 

マジメな人の多くは

ズルい人が許せない。

 

でも、ズルい人からすると、

マジメな人の話が理解できない。

 

良心的なズルい人 or ズルいと思っていない人は、

よかれと思って、

「あなたも同じ事やったらいいじゃん」

とやり方をアドバイスしようとするけれど、

「そんなズルい事できる訳ないでしょ!」

とマジメな人から怒られる。

 

分かり合えない背景にある考え方の違いは、

マジメな人がプロセスやプライドを重視するのに対して、

ズルい人が結果や実利を重視するという事。

 

ズルい人ほど、

プロセスやプライドなんてどうでもいいと考えるので、

選べる選択肢が多くて柔軟性がある。

 

法律さえ、

「要はバレたら罰金払えばいいだけでしょ?」

と、

「バレた時に罰金を払う事=法律を守る事」

として解釈する人もいる。

 

良いか悪いか別にして、

マジメな人が倫理的・道徳的にできない手段まで

簡単に選択できてしまうズルい人の方が

短期的な勝負には勝ちやすい。

 

 

でもそれは、

マジメな人は勝負の勝ち負け以上に

大事にしてるものがある訳なので当たり前。

 

ズルい人は、

「そんなに文句があるなら、結果を出してから言え!」

と言うかもしれないけれど、

綺麗事だけでズルい人に勝てるほど勝負の世界は甘くない。

 

正しい事だけをして勝ちたい人と、

正しくなくても勝ちたい人。

 

同じ土俵で勝負するのは

マジメな人にとってはとても分が悪い。

 

 

だからもし、

マジメな人がズルい人に勝ちたいと思ったら、

戦う土俵を変える事がとても大切。

 

ただの勝った・負けたという土俵で勝負するのではなく、

勝負を通じて勝っても負けても、

社会・業界をより良くするという土俵で争えばいい。

 

それはつまり、

勝負の勝ち負けに価値を持たせようとするのではなく、

勝負に向かうマジメな人の生き様に価値を持たせる事。

 

競合に立ち向かうプロセス自体を発信して、

作品・商品にしてしまう事。

 

 

特に日本人は清廉潔白が好き。

 

強い立場で絶対に勝てる状況にいる人よりも、

ハンデを抱えながらも弱い立場から一生懸命頑張っている人の方が好き。

 

マジメな人が、

正義を貫くストーリーを引っさげてチャレンジすれば、

たとえその勝負に負けたとしても注目され、応援される。

 

そうなると、

ズルい人がなりふり構わずやればやるほど、

ズルい人が悪役になってマイナスになる状況ができる。

 

ズルい人はズルい事をしてまで

勝負に勝とうとは思わなくなる。

 

 

暴走族が減った理由が、

警察が厳しく取り締まったからだけではなく、

暴走行為がカッコ悪いと思われるようになったからだと聞いた事がある。

 

マジメな人がやって仕掛けて欲しいのは、

それと似たような事。

 

結果として、ズルい事が減って、

正々堂々と勝負がしやすくなる状況が生まれる。

 

 

 

悪者を作らない社会の変え方。

 

何か理不尽に思える事があった時、

先生が悪い・会社が悪い・政治家が悪い etc、

評論家的な立場で誰かを悪者にして叩いたって、

それだけでは変わらない。

 

なぜなら、

叩かれる先生・会社・政治家も、

たいてい、そうせざるを得なくて、

仕方なくやっているだけのケースも多いから。

 

本当はやりたくない事を、

役割を果たすために仕方なく頑張っているかもしれない人を

悪者にして叩き潰すようなやり方はなんだか寂しい。

 

相手の立場も踏まえずに

一方的に「ズルい!」と人を叩こうとすれば、

より強い力で反発されて終わりがち。

 

それよりも、

敵と思える人も味方に付けるように、

一緒に根本的な問題に立ち向かえばいい。

 

きっとマジメな人が、

本当に成し遂げたい事は、

ただ勝つ事でもなく、

相手を叩く事でもなく、

自分の大切にしている美学に関わる事。

 

その不器用でも何かに立ち向かう自分に価値がある。

そのストーリーに価値がある。

 

勝ちたいだけの人はただ勝てばいい。

勝つ事以上に大切にしている何かがある人は

勝負を通じてそれを叶えればいい。

 

一人一人が大切にしている事が違うとすれば、

ズルい人なんて存在しないのかもしれない。

 

マジメな人も、ズルい人も、

憎しみ合って、足を引っ張り合わなくても、

うまく調和させられるカタチがきっとあるような気がする。