昔、人気の注文住宅会社から

「家族とのかけがえのない時間を大切に、家に帰るのが楽しみになるステキな家を作りましょう!」

とステキな住宅の提案をされた事がある。

 

魅力的な営業マンと素晴らしい家。

 

なんの問題もないように思えたけれど、

よく考えると、

家を買えば多額の住宅ローンを抱えて仕事に追われる。

 

さらには仕事に行くのにかかる時間が

1時間以上増えるため、

家族で一緒に食事をする機会が減る。

 

素晴らしい家を買う事によって、

逆に家族との時間が取れなくなるという

すごい矛盾に気付いて笑えた事がある。

 

 

子育てを頑張る事も

なんだか似ている。

 

子供とのかけがえのない時間は

どれだけお金を払っても取り戻せない。

 

小さいうちからお受験のため塾に通わせ、

遠くの私立小中学校に朝から晩まで子供を預け、

高校は教育のために寮で独り暮らしさせて

大学からは将来のために留学させる。

 

多額のお金を払って、

一流の教育を受けた子供は、

それで成功したと言われるかもしれない。

 

でもその代償として、

家族で一緒に過ごす時間を失う事が

親にとって、子供にとって、

幸せなのかよくわからない。

 

 

会社でも同じ。

 

会社が儲かれば

みんなが幸せになれると信じて、

コスト削減のために、

社員旅行を廃止にする。

 

生産性を上げるために

お客様との雑談を禁止にする。

 

確かにそれで利益は増えるかもしれないけれど、

社員・お客様とのかけがえのない時間が失われる事が、

社員・お客様にとっていい事なのかよくわからない。

 

 

お金を稼ぐ事と、

一瞬一瞬の幸せな時間を増やす事は、

よく相反する。

 

幸せな時間を追求するほど支出は増えがち。

お金を追求するほど時間を取られがち。

 

いわゆる”成功”を追求すると、

一瞬一瞬の幸せが失われやすい。

 

有名になる事で当たり前の日常の幸せを味わいにくくなったり、

豊かになる事で何気ない小さな幸せを見失いやすくなったり。

 

それに気付いている人は

だいぶ増えているように思える。

 

 

ものもお金もなくて必死だった60代・70代。

 

経済的に豊かであれば幸せになれると信じて、

子供達との時間を犠牲にした40代・50代。

 

両親が忙しくてかまってもらえず、

豊かなのに寂しい想いをした20代・30代。

 

常識的な正解に向かって

かまわれすぎる事が重荷になって

自分らしい自由を求める10代以下。

 

幸せを追求しようとしている事は一緒でも、

価値観の違い・ジェネレーションギャップで、

話が噛み合わないのはいつの時代も同じ事。

 

跡取り候補になった20代専務の夢が

「運動会や授業参観に行っても大丈夫な家庭を作りたい」

と言うのを50代の社長には理解できない。

 

長時間大変な仕事をするからこそ、

たくさんお金がもらえて幸せになれるという価値観を、

20代の息子には理解できない。

 

でも傾向として、

何かを手に入れるためには、

何かを犠牲にしなければならないという考え方は

もう古くなってきた。

 

実際、

「●●なんだから、●●しなければならない!」

と楽しくない事を強要しようとするおじさんは若い人に嫌われる。

 

国や社会、組織のために、

自分を犠牲にしなくてもいい。

 

よくわからない将来のために、

今を犠牲にしなくてもいい。

 

それを若い人ほど

よくそう認識しているような気がする。

 

 

年配の人は若い人を見て、

「そんな甘い考えでうまくいくわけがない!」

とよく怒る。

 

それは、若い人に対する心配の気持ちと、

自分の過去を否定されたような気持ちが

複雑に絡み合っているかもしれない。

 

でも、

何かを犠牲にしないで、

幸せを手に入れる方法を

自然に実践している若い人も多い。

 

その1つの手段が、

何かを手に入れるプロセスを一緒に楽しむ事。

 

双方向型でイベントを

楽しむ事に慣れているのも若い人。

 

・力を合わせてお金を稼ぐプロセスを楽しむ

・一緒に勉強するプロセスを楽しむ

・一緒にものを作るプロセスを楽しむ

・一緒に社会をより楽しいものに変えていくプロセスを楽しむ

 

今までは消費者が生産者に

受け取った側が与える側に

お金を払うのが当たり前だった。

 

それが、

プロセスを一緒に楽しむようになると

どちらが消費者でどちらが生産者か曖昧になる。

 

どちらが受け取る側でどちらが与える側か曖昧になる。

 

そうなると、

「お金を払って買う」という、

ものやサービスのやり取りも曖昧になっていく。

 

いわゆるシェアとマッチング。

お金の流通は減るかもしれないけれど、

ものには困らず、

心も豊かになる状況が生まれる。

 

 

 

1日数千円払って子供を預けたくもない保育園に預けて、

やりたくもないパートの仕事で数千円稼いで、

それを得したと言えるのかよくわからない。

 

さらに、その稼いだお金を

子供が嫌がる塾に通わせるために使っていたとしたら、

嫌がる子供を怒鳴っていたとしたら、

苦しみのシェアになっている感じがする。

 

子供との限られた大切な時間を

マイナスなものにしてしまっている感じが

もったいないような気がする。

 

それよりも、

孫と一緒に過ごせるおばあちゃんが喜び、

子供に何かを教えたい人が教えて喜び、

パートに行くはずだった時間で好きな事をして誰かを喜ばせる事ができた方がいい。

 

お金が足りなかった時代ほど

足りないお金の中でなんとかするために、

シェアとマッチングが自然に行われてきた。

 

それが豊かになって、

便利になりすぎて、

なんでも簡単にお金で解決できるようになって、

好きと好きをうまくマッチングさせる事を

サボりがちになっていたのかもしれない。

 

 

自分にとっては嫌な事だったとしても、

それをお金を払ってでもやりたい人はいる。

 

お金を払ってでも庭いじりがしたい人もいれば、

お金を払ってでもものづくりをしたい人もいれば、

お金を払ってでもボランティア活動をしたい人もいる。

 

それだけでは需要と供給が噛み合わないところや、

みんながやりたくない事があったとしてもきっと大丈夫。

 

みんなが困っている事を、

コンピュータやテクノロジーの力で

解決する事を生きがいにできる人もいる。

 

インターネットとスマートフォンのおかげで、

シェアとマッチングがだいぶスムーズにいくようになって、

お金の相対的価値が下がった。

 

これからさらにシェアとマッチングが

うまく機能するようになって、

お金の相対的価値はさらに下がっていくはず。

 

 

表面的な損得に振り回されて

GDPや年収だけでは測れない

幸福感を疎かにしてはもったいない。

 

お金・時間を大切にするという常識に縛られすぎて、

一瞬一瞬の幸せを見失ってしまったらもったいない。

 

一瞬一瞬の幸せを大切に、

今を味わって生きていきたいです。