子供はかわいい。

 

コップを割られても、

油をこぼされても、

夜泣きで眠りを妨げられても、

オシッコをかけられても、

それでもなぜかかわいいと思えてしまう。

 

ある意味とても不思議な感情。

 

子育てをする事に

別に特別なメリットがある訳でもなく、

お金も時間もかかる。

 

理屈・損得で考えれば理不尽で

途中でもっと投げ出す人がいてもいいはず。

 

何もできなくても、

どんなに迷惑をかけられても、

それでも子供をかわいいと思えるのは

どの国でも、どの時代でも共通。

 

そんな無償の愛で親から子へ命を繋いで、

何千年、何万年と人間社会が続いているのは、

とてもステキで、神秘的な事だと思う。

 

 

 

もし亡くなったご先祖様が、

天国から自分達を見守っていてくれているとしたら、

きっと目に入れても痛くない孫を見守る祖父・祖母以上の心境。

 

ご先祖様にお墓参りするのは、

何があっても一番の味方に

なってくれる存在であると

きっと信じられているから。

 

たまには色々あるかもしれないけれど、

子供が泣いていても、失敗していても、

かわいく思えるのと同じように、

ご先祖様は自分達がただ生きているだけで

嬉しいと思ってくれているはず。

 

どんな自分でも受け入れて、

認めて許して愛してくれているはず。

 

迷って悩んでウジウジしてる自分も、

自分を否定してしまう情けない自分も、

かわいいと思いながら

ニッコリ微笑んでいるはず。

 

 

たまに、

特攻隊員の想いのつまった遺書や、

命を懸けて国を救った歴史ヒーロー物語を見て、

「こんな情けない日本じゃ申し訳ない」

「ただ幸せに生きてるだけじゃ申し訳ない」

と国や自分を責める人がいる。

 

とらえ方は人それぞれでいいと思うけれど、

個人的にはその考え方に何か違和感がある。

 

無償の愛で繋がってきたこの命。

 

もし、親やご先祖様が

子供を責めたり否定したりしてると思うとしたら、

それは一時の気の迷い or 勘違い。

 

もし、怒っているご先祖様の顔を

イメージする人がいたとしたら、

ご先祖様の愛の深さを

あなどっているんじゃないかと思う。

 

さらに言うなら、

この世にいないご先祖様まで

敵に回そうなんて、まさにマゾ。

 

先祖代々の土地・会社・国を守るために

自分達を不幸にするような行動は

あえてやらなくても大丈夫。

 

「死んでしまった◯◯さんのお詫びとして・・・」

などと自己犠牲を強いるような人は、

ピンチに陥ったヒーローを演じて

チヤホヤされたいだけのケースが多いので、

自分まで一緒になって、

申し訳ないなんて思わなくても大丈夫。

 

 

 

そもそも、国も、会社も、組織も、

それに関わる人たちのためのただの器。

 

家族・友人・社員・お客様・仲間のために

命懸けになるのはわかるけど、

その器のために命懸けになるというのはきっと違う。

 

例えるなら、自宅が火事になったとして、

中にいる家族を助けるために

自分の命を捨てる覚悟を持つのはわかる。

 

でも、家族が避難した後の住宅を守るために、

自分の命を捨てる覚悟を持つのは、

ご先祖様目線で考えると望まれていないはず。

 

そんな事しなくていいから早く逃げてと思うはず。

 

 

自分目線だけでなく、

遠くから自分の幸せを心から願う人の目線を考えてみると、

向かう方向性がハッキリしてくる。

 

それが神様でも、ご先祖様でも、

尊敬する上司でも、親友でも、メンターでもいい。

 

何があっても

優しく包み込んでくれる存在を

イメージするだけで、

心はだいぶ楽になる。

 

遠くから自分の幸せを心から願う人の存在を

思い出させるために、

神社やお墓、コミュニティが

存在していると思うと、

とても優しいしくみだと思う。

 

 

 

幸せな人ほど、

何に対しても感謝の気持ちが強い。

 

不幸な人ほど、

誰か・何かのせいにして怒っている。

 

誰か・何かのせいにしてしまうのは、

自分の心を守るため。

 

もっと言えば、

自分が悪くない事を信じられなくて、

自分の代わりに悪い人を作って責めているだけ。

 

本物の愛情があったら、

「罪を償え」

「お前なんてダメだ」

「変わらなければ幸せになれない」

みたいな事は言わないはず。

 

もしそう言う人がいても、

子供がイタズラしているくらいの感覚で

笑って許せるはず。

 

 

社会にはいろんな人がいる。

 

でもそれは、

今の自分にいろんな事を

気が付かせてくれるステキな存在。

 

ご先祖様目線で考えれば、

何があっても、

愛おしい気持ちや

感謝の気持ちでいられるはず。

 

ちょっとした事に心を惑わされず、

優しい気持ちで包み込める自分でありたいです。