正しい事を言っているはずなのに、

「そんな事は常識的に間違っている!」

とまともに話を聞いてもらえない。

 

本当の事を言っているのに

「また適当な事を言って・・・」

とスルーされる。

 

男と女・親と子・友人同士・上司と部下etc,

人間関係で悲しい想いをするケースのほとんどが、

ミスコミュニケーションが原因だと思う。

 

 

商売においても、

特に商品・サービスが

画期的であればあるほど、

その価値が伝わりにくい。

 

素晴らしい商品・サービスを、

「これは素晴らしいものです」

と伝えたってなかなか信じてもらえない。

 

それがもどかしくて、苦しくて、

「なんでわからないんだ!」

と感情的になる人もいる。

 

 

でもこんな事は

笑えるほどに日常茶飯事。

 

自分が知らない事・新しい事に

興味を持てる人は少数派。

 

教養のない人に、

芸術品の価値は理解できないし、

理解しようとも思われないように、

知らないものの価値を

受け入れられないのは当たり前。

 

その気がない人に対して、

価値を伝えようとしたって

鬱陶しがられるだけ。

 

 

もっと言うなら、

たとえ健康になりたいと言う人に、

健康になれる素晴らしい商品・サービスを

提案したとしてもなかなかウケない。

 

話をまともに聞いてもらえないまま、

「そんな簡単な事で健康になれる訳がない!」

と批判的な反応をされる。

 

安いものが欲しいと言われて、

本当に安いものを提案すると、

「そんなに安くできる訳がない」

と不安がられて売れないという

コントみたいなケースさえある。

 

聞かれたから、

良かれと思ってアドバイスしても、

不勉強な人に感情的に叩かれて、

「なんで私がこんな事を言われなきゃいけないの!?」

と理不尽な経験をしている人はきっと多いはず。

 

 

 

情報を伝える側と受け取る側のギャップ。

 

もちろん、偽物を本物のように言う人もいるから、

どちらも悪気がある訳ではないんだろうけど、

「そんなに簡単に儲かる訳がない!」

「そんな簡単に恋人ができる訳がない!」

「そんな簡単にうまくいくわけがない!」

などと今も至るところで

ミスコミュニケーションが起きている。

 

相手の要望に応えようとしたところで

相手に喜んでもらえるとは限らないのが、

人間関係のもどかしくも面白いところ。

 

 

 

乗り越えるために

まず抑えておきたいのは、

人は言っている事と

本当に思っている事が違うという事実。

 

たとえ本当の事であったとしても、

本当の事が伝わらない理由は、

まず潜在意識として、相手側に、

「本当の事を知りたくない」

という大前提があるからだと思う。

 

例えば、

ダイエット中と言っている人に、

「そんなに甘いものを食べると太るよ」

と言うと、

「同じくらい食べているのに痩せている人もいるから」

「昼たくさん食べても夜に消化されるから」

「今日たくさん動いたから大丈夫」

などと謎の言い訳をされるのは、

本人が今食べたくて、

食べても大丈夫だと思いたいから。

 

どんなに事実を積み上げて、

太る事を証明しても逆効果。

 

本人がその情報を

受け取りたくないと思っているのだから、

論破をしたところで感情的に怒られるだけ。

 

しまいには、

「今日は自分へのご褒美だから」

とダイエットしたいと言っていた事を

忘れたかのような発言に繋がる。

 

 

同じように、

良いものが欲しいと言っている人だからと言って、

本当に良いものが欲しいと思っているとは限らない。

 

人の心は曖昧なもの。

 

感情で動いている人に対して、

「あの時ああやって言っていたのに」

と人の言葉をそのまま受け取って行動したって、

コミュニケーションはすれ違う。

 

それでも相手に合わせようと思うなら、

その言葉の奥にある本当の目的を察する事が求められる。

 

「良いものが欲しい」

という言葉の裏にはいろんな感情がある。

 

良いものを探したいだけかもしれない。

その事を通じたコミュニケーションが好きなだけかもしれない。

そのプロセスを楽しんでいるだけかもしれない。

そう言う自分が好きなだけかもしれない。

 

言葉の奥にある

なんらかの感情を満たす事ができれば、

何をしても意外に満足しやすい。

 

買い物に行ったのに買えなくて、

最初の目的を達成できないまま帰ってきても、

「行く途中にすごい人に会ったの!」

と満足する人もいる。

 

訪問販売の人にぼったくられても、

「いい商品に出会えてよかった」

となぜか満足してしまう人もいる。

 

「お前騙されてるぞ!」

と言いたくなるような状況になっても

ニコニコしている人も含めて、

全部受け入れてまとめるのなら、

「幸せだったらなんでもいい」

が正解なような気がする。

 

 

 

学者さんや正義感が強い人でもない限り、

本当の事に興味があるのはきっと少数派。

 

正しいかどうかはどっちでもいい。

事実かどうかはどっちでもいい。

本当に良いものかどうかはどっちでもいい。

 

商品・サービスを通じて、

人と人とのやりとりを通じて、

自分の心を満たす事が目的だとすれば、

論理的におかしいと思える人も

欲求に正直に生きているという意味で

理にかなった行動をしているはず。

 

 

正論を言っても嫌われるもの。

 

正しいはずの事が認められなくて悩む時は、

「正しさ以上に相手が大事にしている感情はなんだろうか?」

「正しさを認めさせて、いったい自分は何を求めているんだろうか?」

と感情や、悩みの先の目的の方に目を向ける事で、

物事を一歩前に進めやすくなるような気がします。