友達の集まりで、

「幸せとは何か?」

というテーマで1時間くらい話し合って

最後に辿り着いたのが

「幸せとは虹色バイブレーションである」

という一見よくわからない結論。

 

幸せと言うと、

いろんな欲望を叶えたり、

欲しいもので充分に満たされた状態のように思える。

 

実際話し合ってみると、

お金であったり、時間であったり、人間関係であったり、

幸せの形は人それぞれに違っていて面白い。

 

でもその人それぞれに違う幸せに

共通するものを考えると、

幸せそのものは、プラスの感情の揺らぎだと見えてきた。

 

それが

「虹色バイブレーション」

という言葉でうまくまとまった。

 

 

組織でも、家庭でも、

自分にとっての理想が、

一緒にいる人にとっての理想とは限らない。

 

人それぞれに違う幸せの形に目を向けると、

どうしたらいいのかわからなくなって、

対立したり、振り回されたりしてしまいがち。

 

でも幸せそのものは、

単なる感情の揺らぎだと思うと、

争わないで解消できる。

 

というのも、

やりたい事をやったり、

欲しいものを手に入れたりするのは、

幸せの感情を生み出す1つの手段でしかないから。

 

元々思っていた理想とは違う状況になったとしても、

違う幸せを見つけられるものだから。

 

もちろんその逆もある。

 

やりたい事をやっているのに満足していない人もいれば、

欲しいと言っていたものを手に入れたのに怒る人もいる。

 

幸せは感情の揺らぎだと解釈すると、

行きたいと言う場所に一緒に行っても、

欲しいと言われた物を買ってきても、

感謝するどころかなぜか怒る事がある妻を

理解できた気がしてスッキリした。

 

 

「幸せになりたい」

と言う人はいるけれど、

幸せが一瞬の感情であるならば、

きっと幸せは”なるもの”ではなく

見つけて感じて味わうもの。

 

そう思うと、

「こうすれば幸せになれる」

「これさえ手に入れば幸せになれる」

みたいな成功法則はおかしいのかもしれない。

 

でも、

「幸せになりたい」

と言っている人に、

「幸せはもう既にあるんですよ」

「幸せは味わうものですよ」

となんて伝えようものなら、

「こんな状況で幸せなんて味わえる訳ないでしょ!」

と怒られる事になりかねないので、

寄り添って伝えるには

「幸せになれる」

と言った方が伝わりやすい。

 

だからといってそれも間違いではなくて、

「こうすれば・・・」

「これさえ手に入れば・・・」

と思っている何かに向かって突き進んでみると、

たいてい幸せだと思い込んでいたものは、

単なる”憧れ”だったと自分で気付く。

 

たとえ憧れの何かを手に入れても、

幸せを味わえるのは一瞬かもしれないと見えてくる。

 

悩みなんて全くないと思っていた憧れの人も、

また別の悩みを抱えている事が見えてくる。

 

それで幸せが何なのかわからなくなって、

悩んでもがいた結果として、

今も昔も当たり前のようにある幸せを

見つけられるようにできているような気がする。

 

 

「家族一緒にいられるだけで幸せ」

「お腹いっぱいご飯を食べられるだけで幸せ」

と思える人もいれば、

「目標達成できなければ幸せになれない!」

「結婚もできなくて幸せなんて言えない!」

と自分・他人を鼓舞する人もいる。

 

それはそれで、

プロレスのヒール役みたいに、

当たり前の幸せを引き立たせる役割として

きっとうまく機能している。

 

ギャンブルの世界も、ビジネスの世界も、

すべてをわかった上で

刺激を味わって楽しんでいる人もいれば、

刺激に振り回されてモヤモヤしてる人もいる。

 

それでも、

あるからこそ選べる訳なので、

うまく付き合えば、

それはそれで楽しめるはず。

 

 

 

幸せと同じように、

怒りだってただの感情。

 

2年前、何が起きても穏やかな仙人みたいな人に、

イライラした時の対処法を質問した事がある。

 

「怒っている感情を充分に味わったらいいんだよ。そしたらスーッと消えるから。」

と教えられたものの、

当時は意味がわからなくて、

「もっと具体的に何をしたらいいかを聞いているんですけど?」

と会話がすれ違っていたけれど、

それもなんとなく繋がった。

 

仙人みたいな人が指摘してくれた事はきっと、

怒りの原因となった相手・物事に対して

どうにかしようとしている時点で、

感情の課題を、現象の課題にすり替えようとしている。

 

怒りの感情と向き合わずに、

そこから逃げるような行動をしたって

怒りの感情は癒せない。

 

怒りの感情は悪いものでもないのに、

怒りの感情と争おうとしても、

見て見ぬフリをしても、

また後で爆発するだけ。

 

それは、失恋した後、

話して泣いてスッキリして次に進める人と、

我慢してズルズル引きずってしまう人の違いと似ている。

 

「あの人と一緒じゃなければ幸せではいられない」

とまで言っていた人とヨリを戻さなくたって

また別の形で幸せを感じられるようになる。

 

怒りも幸せと同じで、

感情の揺らぎ。

 

自分の内面の感情の課題なので、

外部環境に依存しないで癒せるもの。

 

他人に対してどうするとか、

自分の行動をどうするとかも、

1つの手段ではあるけれど、

感情的な課題を物質的な課題に

すり替えている分、遠回り。

 

感情を癒やす上で大切なのは自分の内面であって、

外面に対してどうアプローチするかは

直接的にはそこまで関係ないような気がする。

 

 

「ドラフト1位で巨人に入団したい」

「5年で年商10億円にしたい」

など、白黒ハッキリした具体的な理想は

勝負の世界で勝たなければならずに、

叶えるのは大変かもしれない。

 

でも、よく人の理想とされる

豊かさも、自由も、成功も、幸せも、

ある意味曖昧な感情的なもの。

 

だから手に入れるのは簡単。

 

ただシンプルに、

自分でそう思ったらそうなるもの。

 

収入とは関係なく

自分で豊かだと思えば豊か。

 

どれだけ忙しくても、

自分で自由だと思えば自由。

 

他人がどう思おうが、

自分の世界の中で

うまくいっていると思えていれば、

本人にとってはそれが真実。

 

宇宙に行きたいという願いだって、

実際に行く事は大変でも、

宇宙に行った気になったり、

宇宙に行く喜びを味わう事は、

空想・妄想にふけるのが得意な人なら簡単に味わえる。

 

理想の恋人と付き合うには

コミュニケーション能力が必要かもしれないけれど、

ステキな恋人を作った気になったり、

ステキな恋人ができた喜びを味わったりするだけなら、

恋愛シミュレーションゲームでだって簡単に味わえる。

 

「年収1000万円以上なければ豊かではない」

「病気になったら幸せではない」

みたいに物質的な理想と感情的な理想を

引っ付けて考える人もいるけれど、

その状況じゃなくても豊かさや幸せを感じられている人は実際いる。

 

それがいいかどうかは別にして、

感情的に満たすだけなら、

誰とも争わなくても、

お金・時間を使わなくても手に入れられる。

 

 

 

白黒ハッキリしている物質的なものと、

最初から曖昧な感情的なものは

同じ土俵で考えたって理解しにくい。

 

人によっても違って、

具体的に定義しにくい曖昧なもの。

 

でも曖昧であるからこそ

共有・共感しやすくて、

みんなが違う形で手に入れられるもの。

 

「どっちに転んでも幸せ」

「何が起きても大丈夫」

という心の安全がベースにあるからこそ、

何かにチャレンジする時に味わう

感情的な課題も乗り越えていける。

 

 

幸せはきっと、

どんな状況にあったとしても見つけられるもの。

 

いつでも自分の世界の中に

幸せを見つけられる自分でいたいです。