「あなたは何にワクワクする?」

と聞かれるよりも、

「うふふってなるポイントは何?」

って聞かれた方が考えやすい。

 

友達からそんな話を聞いて

ふとわかったのが、

私は物事を斜めから見るのが好きという事。

 

正しいと思える事の陰に隠れている

違和感を見つけ出して深く考えるのが好き。

 

一見素晴らしいと思える事の

裏側にある矛盾を見つけては、

頭のいい人とやり取りするのが好き。

 

一見悪く思える事の裏側にある

ステキなポイントを見つけては、

暗い相手をハッとさせるのが好き。

 

一人で考えているだけでも、

うふふとなって止まらなくなる。

 

 

怒られるかもしれないとわかっていても、

考えた事をぶつけて

どう反応するのか見てみたくなる。

 

講演家の先生に、

「幸せな人を無理に増やそうとすると、不幸な人も増やす事に繋がるんじゃないですか?」

とぶつけては怒りを買ってみたり。

 

夢を叶える事をテーマに活動している人に対して、

「簡単に夢が叶う方法があったとしたら、夢は夢じゃなくなっちゃうんじゃないですか?」

とぶつけては場を凍らせてみたり。

 

「社員みんなを幸せにしたい!」

と言っていた社長が、今幸せな社員に対して、

「あいつらは未来への危機感が足りない!」

と怒って不幸にさせようとしている矛盾に笑えてしまったり。

 

言わなくてもいい事だとわかっていても、

自分の中で面白いからシェアしたくなる。

 

損をしているかもしれないけれど、

それが好きなんだから仕方がない。

 

 

異論・極論も好きで、

空き時間も、食事中でも、

スマホで記事を見たくなる。

 

暇さえあれば

講演動画や対談動画を

ヘッドホンで聞く。

 

自分の中の固定概念が、

違った視点によって崩されて

理解が深まっていく事で

知的好奇心が満たされる。

 

この喜びを共有できる人が相手だと、

何時間でも笑って話していられる。

 

人によっては”屁理屈ばかり言う”とか、

”鬱陶しいヤツ”と認識される事もあるけど、

楽しそうに話すから許してもらえたり、

面白いと言ってくれる人もいたりして、

なんとなく成り立っている。

 

 

 

昔から両親にも先輩にも、

「好きな事をやったらいい」

とよく言われてきたけれど、

「好きな事ってなんだろう?」

と考えるとよくわからなくなる。

 

私の場合、

今まで好きな事(趣味)を聞かれると、

マンガ・アニメ・ゲームと答えていたけれど、

それ以上に情報収集をして

考え事に没頭している時間の方が長い。

 

好きな事は、

自分でわからなくても、

気が付けなくても、

きっと当たり前のようにやっているもの。

 

当たり前すぎるが故に、

それを好きな事として認識するのは

案外難しいのかもしれない。

 

 

好きな事を好きと認識するだけでも難しいのに、

「好きな事を仕事にしたい」

と言う人も多い。

 

でもそれは、

好きな事でお金をもらえるほどの価値を提供できるか以上に、

構造的に好きな事は仕事にしくくなっているように思える。

 

というのも、

自分が好きでやっている事には、

見返りがいらない。

 

あえて誰かにアピールする必要がない。

 

やるだけで自己完結で心が満たされるため、

無理に他人と比較する必要もなく、

自分ですごいという事が認識できない。

 

そもそも、

仕事感覚でやっていないので、

すごいかどうかなんてどうでもいい。

 

なんらかのキッカケで、

好きな事を披露する機会があって、

それで他人に褒められても、

「これってすごい事なの?」

と言うほど興味もなく、

自分でも信じられないまま終わりがち。

 

褒めてもらえなくても、

お金をもらわなくても、

ただそれだけで満たされているのに、

さらに仕事にしようとするには強い動機がいる。

 

やろうとしても、

少なくとも最初はとても気持ちが悪い。

 

「こんな事で本当に喜んでもらえるの!?」

という自己認識の低さや、

「こんな事でお金をもらっていいの!?」

という申し訳なさを乗り越えてまで、

あえて仕事にする必要がないという結論に行き着きがち。

 

 

「好きな事を仕事にする」

と言うと憧れられやすくて、

方法を教えようとする人はいるけれど、

なんとなく好きな事が仕事に繋がっただけなのを、

「こうやったからうまくいった」

とあと付けで分析しているだけのように見える。

 

たしかにやり方はある。

 

好きな事に関わる商品・サービスを作って、

それについて発信し続けて集客して、

興味を持ってくれた人に営業すれば仕事になる。

 

でもそのやり方を

頑張ってやろうとすると、

たいてい空回りする。

 

なぜなら、好きな事がある人は、

それをやる事が好きなだけで、

集客・営業・お金儲けが好きな訳じゃないケースが多いから。

 

そこまでして、

あえて仕事にする気にならない。

 

頑張って好きな事を仕事にしようすると、

好きではない事まで付いてきたりして、

「こんなはずじゃなかった」

という状況に陥りがち。

 

お金をもらう事を意識しすぎて

「儲からないならやらない」

と考えるようになってしまった時点で、

好きな事が好きな事ではなくなっていく。

 

本当に好きな事は、

お金をもらっても、もらわなくても、

止められても、怒られても、

やりたくなってしまうもの。

 

儲かる・儲からないだけで判断せず、

ただ好きだからやっているスタンスでいないと、

純粋に好きな事を楽しめなくなるような気がする。

 

 

 

私の場合で言うと、

今はなんとなく仕事になっている

物事を斜めから見る趣味。

 

心が弱っている人に対しては、

本人がマイナスに思っている事を

「それって実はこういうメリットに繋がっているんじゃないですか?」

とプラスなものの見方に変換して伝えると、

カウンセリングっぽくなって喜ばれる。

 

心も成長意欲も強い人には、

本人がプラスに思っている事を

「それって実はこういうデメリットに繋がっていませんか?」

とマイナスなものの見方に変換して伝えると、

新しい課題を見つけて解決していく

コンサルティングっぽくなって喜ばれる。

 

取材して物語を書くのが好きなのも、

文章を書くのが好きというより、

鋭い質問で相手の思考を

深掘りしていくのが好きなだけ。

 

誰かに喜んでもらえるのが嬉しいというのはあるけれど、

それは単なるオマケ。

 

本当に好きな事は、

誰かに喜んでもらえなくてもやる。

 

お金がもらえたら嬉しいというのはあるけれど、

それも単なるオマケ。

 

本当に好きな事は、

たとえ儲からなくてもやる。

 

好きな事で得する事もあれば、

損する事もあるけれど、

好きな事をやるためなら、

それも別に苦にならないはず。

 

 

 

わかりやすく趣味っぽい事を

仕事にしている人ほど羨ましがられやすいけれど、

きっと誰もが好きな事を好きと認識しないままに、

好きな事をやっているような気がする。

 

人間である以上、

好きな事を無理に探そうとしなくても、

本能的に好きな事を探してしまうもの。

 

お腹が空いたらご飯を食べる。

眠たくなれば寝る。

遊びたくなれば遊ぶ。

お金が必要なら稼ぐ。

退屈になれば探す。

 

できるだけ長い時間、

好きな事を楽しもうとすると、

いつの間にか好きな事は仕事に取り込まれていくもの。

仕事の中に好きな事は見いだされていくもの。

 

でもそれは、

無理に追いかけるほどに離れる。

 

頑張って好きを仕事にしようとするほどに、

余計な力が入ってうまくいかないものなのかもしれない。

 

 

好きな事をやっているのに気付けていない人に

「あなたの好きな事ってそれですよね」

と指摘してハッとさせるのも楽しいし、

自分でハッとするのも楽しい。

 

生きている以上、

お金も時間も情熱も、

自分でも気が付かないまま、

何かに使い続けている。

 

だからこそ、

本当に大切なものは、

いつの間にか手に入っている。

 

現状を大きく変えなければ

味わえない訳でもなくて、

今あるものに気付くだけ。

 

それはきっと、

日常の中にある”うふふポイント”にヒントがあるはず。

 

何かに迷った時ほど、

うふふとなっている自分を見失わないようにしたいです。