ビジネス書を読むと、

「レアな人材になりなさい」

「人と違う事をやりなさい」

みたいな事がよく書いてある。

 

でも、そもそも、

人は一人一人みんな違っている。

 

細かく見れば、

能力も、やっている事も、価値観も、

同じ人なんて1人もいない。

 

みんなが

77億人分の1人のレアな存在

という考え方もある。

 

 

とはいえ、

「私は世界にただ1人の存在なんだから、私は私を生きているだけで素晴らしい!」

なんて思える人はきっと少数派。

 

なんとなく、

お金は多い方が良くて、

悩み事は少ない方が良くて、

なんでも知っている方が良くて、

便利快適な環境にいる方が良くて、

スマートな方が良くて、

ポジティブな方が良くて、

チャレンジしてる方が良くて、

活動規模は大きい方が良くて etc、

多くの人が良いと思っているであろう

常識的な方向に誘導させられがち。

 

それがなんとなく自分にしっくりこなくて

モヤモヤしている人も結構いるはず。

 

 

 

自分がモヤモヤしている時に、

「みんな違ってみんないい」

「あなたはあなたのままで素晴らしい」

みたいな事を言われても

「はぁ?あなた何を言ってるの?」

となってその真意は伝わらない。

 

たとえ

「そんなあなたが好き!」

と言われたって、

その想いは受け取れない。

 

場合によっては、

他人に比べて自分の足りない部分ばかりが目について、

「何それ?嫌味!?」

「素晴らしいなら、なんで私は●●できないんだ!」

とバカにされているように感じてしまう事さえある。

 

 

 

なぜ人はレアであるはずの

自分の価値を認識できないのだろうか?

 

よく考えてみると、

それはきっと海外を知らない人に

日本の良さがわからないのと同じ。

 

自分の価値は自分だけでは

認識できないようにできているからだと私は思う。

 

思えば私の場合、20歳くらいまでは、

ITバブルに踊らされていたせいか、

「サラリーマンはつまらない。お金持ちの社長になれば自由で楽しい人生を謳歌できる。」

と思っていたけれど、

経営コンサルティング会社に就職して、

初めてお金持ち社長の孤独な実情を知って、

「サラリーマンも悪くない!?」

とハッとさせられた記憶がある。

 

なんとなくの情報や常識で、

他人の芝生は青く見えているけれど、

何事も両方を経験して初めてその価値がわかる。

 

両方知らない人が、

こちらの方がいいと断言はできないはず。

 

誰がどんな経験を元に言っているのかもわからない

根拠のないアドバイスを信じて

振り回されている人は多いような気がする。

 

 

 

そんな中、

「こうなれば幸せになれる」

「こうすれば人生勝ち組になれる」

みたいな情報を信じて、

苦しんで頑張って手に入れた割に

幸せを感じられていない人ほど、

今の自分を正当化するために

「●●な奴には生きている価値がない」

とまるで過去の自分を否定するような発言をしがち。

 

「成功するためには私のようになりなさい」

みたいな、自分を必要以上に

崇め奉ってもらいたいような発言をしがち。

 

自分の素晴らしさに自信の持てない人達が、

満たされない承認欲求を満たすために、

「俺ってみんなよりすごいよね!」

「アイツは俺達よりレベル低いよね!」

と認めてもらいたいがためにマウンティングが生まれる。

 

それはいわゆる、

「みんな違ってみんないい」

と思えない人達によるもの。

 

みんながいいと感じてしまうと

困る人達によるもの。

 

相手の話もロクに聞かずに、

「うまくいかないのはお前の人間性の問題だ!」

「もっとこうやれば儲かるのになんでやらないの?」

「会社を大きくしないで経営する意味あるの?」

などと上から目線で攻撃的に責める人は、

自分の承認欲求が満たされなくて、

もがいているのかもしれない。

 

 

 

そうやって承認欲求で困った時、

簡単に承認欲求を満たすために飛び付くのが、

わかりやすい数値や指標。

 

誰かに聞いて知った何らかの基準を設定して、

「これだから私は周りの人・会社に比べて優れている」

と認識しようとする。

 

それに頼るのもいいかもしれないけれど、

それで承認欲求が満たされるのは一時的。

 

下を見て安心するのもいいけれど、

上を見てしまえば上には上がいる事を思い知らされる事になる。

 

「これだけは自分にしかできない」

と思いたくても、

自分と似たような事をできる人は

結構簡単に見つかる。

 

何かの基準に頼って

承認欲求を満たそうとしても、

中途半端にしかなれない。

 

結果を出せば認められると思っているうちは、

結果を出せなかったら認められないという認識と隣り合わせ。

 

自分で自分を認めないまま、

他人に認めてもらおうとしたって、

ストレートには受け取れない。

 

認定機関、調査機関、各種コンテストなど、

承認欲求を満たすため

いろんなビジネスがが生まれている。

 

やりすぎてズブズブになる人もいる。

 

 

 

頑張っても、やり方を学んでも、それなりの結果を出しても、

いつまで経っても満たされないように思える承認欲求。

 

それを乗り越えているように見える人は、

「誰かに比べてすごい」

ではなくて、

「私は私なんだから、誰と比べなくてもすごい」

と認識している人。

 

もしくは達観して、

「承認欲求があるから頑張れるんだよね」

と承認欲求を受け入れて活かしている人。

 

もしくは、

何も考えていない人。

何かに必死でそれどころじゃない人。

 

いろんな人がいるけれど、

そんな誰かを目標にして目指そうとすると

おそらくドツボにハマる。

 

なぜなら、

どこまでいっても自分は自分であって、

目標の人にはなれないから。

 

他人の芝生ばかりを見て、

自分の芝生に目を向けなければ、

いつまで経っても辿り着かない。

 

目標の人と比較して、

中途半端な自分を責めてしまいがち。

 

 

でもそんな自分も悪くない。

 

失敗して、失敗して、失敗して、

そんな中途半端な自分を笑う事ができた時、

いつの間にか承認欲求なんて

どうでも良くなっているような気がする。

 

思えば、

承認欲求を満たさなければならないと思うのも、

中途半端だから悪いというのも、

それも含めて、

多くの人が良いと思っているであろう

常識的な方向に誘導させられたもの。

 

自分がレアな存在でもそうじゃなくてもどっちでもいい。

みんな違ってても、違ってなくてもいい。

迷う自分もいい。

自分を好きにならなくてもいい。

楽しんでもいいし、楽しまなくてもいい。

 

「どうやって?」

と考えているうちはわからなくて、

いつの間にか満たされているのが

承認欲求の正体なのかもしれない。

 

 

色々考えすぎてよくわからなくなった時、

そんなマゾな自分を笑い飛ばしてみる事で

面白い何かが見えてくるような気がします。