仕事でも、日常生活でも、
なんだか悲しい気持ちになる時ってありませんか?
・特別なサービスやプレゼントに対して、「ありがとう」さえ言ってもらえなかった時。
・高いお金を払ったお店で、適当な接客をされた時。
・心を込めてメールを送ったのに、返事をいただけなかった時。
・なけなしのお金で支払ったボーナス・企画した社員旅行に感謝されなかった時。
なぜ悲しい気持ちになってしまうのか?
それは相手に、
「このくらいの反応はしてもらって当たり前」と、
”結果”を勝手に期待してしまっているから。
相手に何かをする元々のキッカケは「与える喜び」のため。
「これをしたら社員やお客様は喜んでくれるかな?」
と純粋な想いで、自分がやりたくて、
見返りを求めずにする”行動”自体に喜びがあったはず。
結婚する前の奥さんに対しての誕生日プレゼントは、
「これで喜んでくれるのだろうか?」
とドキドキしていたはず。
それが、
感謝される事が気持ちよくて、
感謝される事が当たり前になって、
感謝されないとガッカリするようになって、
相手に感謝を強要し始める。
すると、
自分が自分のために勝手に行っていたはずの事が、
いつの間にか、「相手のためにしてあげている」と、
上から目線の驕った認識に変わってしまう。
相手からすると感謝を強要されているようで気持ち悪い。
与える人は、
「なんでここまでやってあげたのに喜ばないんだ!」と怒り、
相手も、
「そこまでしてやってくれなくていいから!」と怒る。
相手に自分の理想を押し付けて、勝手に結果を期待し、
その通りにならないと怒るという自作自演のストレス。
知らず知らずのうちに陥ってしまう。
こんな時、行動と結果を別物として考えないと、
このストレスから抜け出せない。
たいていどこの会社でも、
経営理念は何かを成し遂げる「志」。
事業投資をするのも、その志に沿った当たり前の行動。
だからたとえその事業投資の結果、
大きな損失を出してしまったとしても、
その行動自体を恥じる事も、後悔する必要もない。
その行動は、その志を進めるための一歩にはなったはず。
かけがえないのない経験を手にいれる事に繋がったはず。
手持ちの資金が減っただけの事であって、それは後退ではなく前進。
何かの行動の結果、
相手に感謝されなくても、
まわりに認められなくても、
思っていた成果に繋がらなくても、
大きな借金を背負っても、
志のためにするその行動自体が一番の目的で喜びだと、
強く想う事ができればストレスから解放される。
変化やチャレンジ、投資や借金を、
必要以上に怖いと思ってしまうのも、
知らず知らずのうちに結果を期待してしまっているからこそ。
努力したからといって結果に結びつくとは限らない。
仕事の価値を結果に求めてしまうとつらくなる。
結果は結果としてただ受け入れて、淡々と対処すればいい。
社会情勢の変化、競合の動き、イノベーション etc
結果は自分がコントロールできない事で変わってしまう。
そんなコロコロ変わる結果に振り回されると自分自身を見失う。
結果がどうなったとしても、
志のために取った行動自体に価値を見い出す事ができれば、
社長の決断も少しは楽になるのかもしれない。
結果を期待しない事。私も反省です。