お金持ちになりたい。

仕事ができる人になりたい。

カッコよくなりたい。

美しくなりたい。

有名になりたい。

 

人の欲望のベースにあるものはたいてい、

褒められたい、認められたいという気持ち。

 

とはいえ、頑張ってそれを手に入れても、

幸せを感じられるのは一時だけ。

 

地位や名声、お金や容姿に惹かれて、

社員、友人、恋人、結婚相手がすり寄って来てくれたとしても、

それがなくなってしまえば去っていく。

 

だから何かを手に入れて成功者になったとしても、

今度はそれを失う恐怖と、

向き合わせられ続ける事になる。

 

いくら頑張り続けたところで、

年齢による衰え、競合の出現、急激な時代の変化etc、

自分の力が及ばない事が原因で失う事もある。

 

成功者になればなるほど抱える事になる、

人には言いにくい悩み。

 

それが嫌で、

弱みを見せずに強がって、

さらに成功を重ね、

お金や力で人に振り向いてもらい続けようとしたところで、

結局いつかは失う事になる。

 

だから、失う恐怖を乗り越えようと思ったら、

何もない本当の自分と向き合って、

心の芯を強くしていくしかない。

 

それは、自分を守る事を手放す事。

 

人が去っていって、

裏切られたように感じるのは、

目線が自分に向いているから。

 

自分がどうなったとしても、

相手が喜んでくれればいいと思えれば、

人が去って行ったとしても、

前向きに幸せを感じられるようになる。

 

それはまさに親が子どもを思うような気持ち。

 

とはいえ、やっぱり、人が去っていく事で、

多少の寂しさは残るかもしれない。

 

そんな時、大切になるのが、

何もない自分を認めてくれる人の存在。

 

何もない時から付き合ってくれていて、

見返りがなくてもそばにいて応援してくれる

両親、家族、友人、仲間。

 

忙しくなると蔑ろにしてしまいがちだけど、

そこがまさに自分がゼロになっても戻れる場所。

 

給与が払えなくて会社が破綻したとしても、

貧乏になって何も与える事ができなくなったとしても、

歳を取って何もかもが衰えても、

それでもそばにいてくれると思えるだけの

信頼関係を築く事ができるかどうか。

 

究極的に人が求めているのは、きっとこんなもの。

子どもの頃、両親から与えられ続けていた無条件の愛のようなもの。

 

失敗して、年老いて、大切な人が去っていく中でさえ、

何があっても信じられる人を

人生でたった1人でも見つける事ができたなら、

その人の人生はとても充実しているって事じゃないかと思うのです。