競合を批判する人や、

誰かの悪口を言っている人に会うと

心がザワザワする。

 

私も無意識にやってしまっている事がある。

 

悪い事をした誰かを謝らせたり、

間違っている事を認めさせたり。

 

その先には何もない事をみんなわかっているはず。

 

外国も日本も会社も家族もまわりの人達も、

”誰か”ではなく”私たち”。

 

だから”誰か”を叩いて、

一時的にスッキリしたとしても、

その後に残るのは、なんとも言えない虚しさ。

 

 

みんな色々な過去を持っている。

 

都合の悪い事を忘れているだけで、

“誰か”を非難できるほど、

100%清廉潔白に生きてきた人はいない。

 

だからいつか違う理由で、

同じように非難されるのは自分かもしれない。

 

わかっていても繰り返してしまう人が多いのは、

きっと、ルールを守って嫌な事も我慢して、

真面目にやってきた自分を否定されたように感じるから。

 

 

みんな、社会は、

本音と建前で動いているとわかっている。

 

先生や上司、大企業や偉い人に従って、

真面目にコツコツ頑張った人が

認められるとは限らない。

 

変化が激しい時代になって、

逆に今は、言われた事をやらない人や、

常識に従わない人が

成功を勝ち取る傾向が強くなってきた。

 

 

約束を破り、他人を蹴落とし、

騙して奪う人の方が、

成功しているように見える事も多い。

 

 

個人では良心が痛んでできない事も、

会社や組織を通じてならばできてしまう。

 

良いも悪いも、

人と違う事をするからうまくいく。

常識ハズレが常識になる。

 

そうなると、やりたい事を我慢してきた人は、

自分が頑張ってきた事を認めて欲しいが故に、

誰かの失敗や短所、不真面目に見える行動を叩きたくなる。

 

 

モノが足りなかった時代は、

お金さえもらえれば嫌なことが嫌ではなくなったり、

他人の足を引っ張るほどの余裕がなかったりで、

それなりにうまく回っていたのかもしれない。

 

しかしそれも、モノや情報が溢れ、

お金の力が弱まってきたために、

少しずつ限界に近づいている。

 

便利になったおかげで、

ある意味暇になったおかげで、

成功する人を見ると悔しくて、

足を引っ張りたくなる人が増えた。

 

 

今、成功している人は、

人とは違うなんらかの手段を使って、

競争を勝ち抜いたからこそ今の立場にいる。

 

悪い事をしているように見える人は、

誰かのために、何かを成し遂げるために、

そうせざるを得ない理由があったからやっただけ。

 

その人達は少なくとも、

足を引っ張るだけの人よりも、

頭を使って頑張ってきた人。

 

 

そんな人達を批判して、辞めさせたって良くはならない。

また別の叩かれる理由を持った人が出てくるだけ。

 

「だったらどうするの?」と

より深く考えられた具体的な代替案を提示できなければ、

より良くなんてならない。

 

誰かを辞めさせたところで、足を引っ張ったところで、

そのためのコストを負担するのは私たち。

叩かれた人やその家族・関係者が反発する先も私たち。

 

憎しみを増やして、

余計に互いに苦しむ事になるだけ。

 

 

ニュースでちょっとした失言や、

ちょっとした間違いで叩かれる人達を見ると、

とても怖くなる。

 

今はうまく情報をコントロールして、

いい人を演じている人が

うまくいっているのかもしれない。

 

でもそれも、マイナスの情報が漏れたら、

すぐに掌を返して叩かれる恐怖と隣り合わせ。

 

幻想やイメージで勝手に人に期待して、

勝手に裏切られる茶番の繰り返しは、

いったいいつまで続くのだろう。

 

 

認められたいと寂しがっている人は、

自分以外の人の事を認めようとしていない。

 

自分の事をわかってくれないと言う人は、

相手の事をわかろうとしていない。

 

詳しく調べもせず、

理解しようともしない一部の人が、

感情的になって怒っているだけ。

 

結局すべてのいざこざは、

わかり合う事で解消していくような気がする。

 

とはいえ、イライラしている人はその余裕がない。

 

だから、少しでも心に余裕のある人が、無理のない範囲内で、

イライラしている人でも、認めて、受け入れて、癒していく事が、

優しい人・会社を増やすための第一歩かもしれない。

 

 

ありのままを認められる事で、

心の余裕は取り戻せる。

 

すると、相手のありのままも

認めようとする事ができるようになる。

 

悪いと思っていた人の背景について理解し、

自分が苦手な人の長所や、

嫌いな人の好きなところを見つける事に繋がっていく。

 

相手がどんな人であったとしても、

1人1人と深く関わる事を、

コツコツ繰り返していく先に、

優しくて平和な理想の未来があるような気がする。