人は感情で動く。

 

加害者には厳しく、

被害者には甘くなる。

 

強い者から、

弱い者を守ろうとする。

 

悪人を非難し、

善人を応援する。

 

なんとなくの見た目や、

植えつけられたイメージに

左右されたものだったとしても、

本能的にそう心が動かされてしまう。

 

それが良いのか悪いのか、

問題の根本的解決を阻害し、

人間同士の争いを生む

原因になっているように思う。

 

社会・組織においても、

理屈で考えると合っているはずの事が、

感情的な理由で進まなくなる事は多い。

 

頭のいい人ほど、

感情で動く人の事が理解できなくて

悩んでいるような気がする。

 

 

理屈と感情のズレから来る矛盾。

社会に溢れている。

 

地震復興のために数十兆円注ぎ込むのが悪い事だと思われない割に、

防災対策の数億円は利権絡みの無駄遣いに感じられる。

 

人間関係で問題があると、

謙虚で優しそうな方が被害者、

傲慢で強そうな方が加害者に見られやすい。

 

犯罪被害者を守る事は応援される割に、

犯罪を根本的に解決するための

加害者支援については、何だか複雑な気持ちになる。

 

責任者選びは、

結果が出せるかどうかが一番大事なはずなのに、

一般常識に照らし合わされた人間性の方が重視される。

 

弱い人を守ろうと思ったら、

弱い人同士が頑張るよりも、

強い人に感謝し頭を下げて助けてもらう方がうまくいくのに、

それを弱虫・腰抜けだと非難される。

 

かわいい子供や動物の支援は集まりやすい割に、

イメージの悪い虫・動物対象には支援が集まりにくい  etc。

 

これが人の感情。

 

そう思うと、

国際関係、取引先関係、人間関係すべてにおいて、

人の感情を踏まえた”したたかな戦略”が、

求められているのかもしれない。

 

可哀想と思われた方が実は強い。

弱いと思われた方が助けてもらえる。

 

プライドを捨て、相手を尊重し、勝負に負けてでも、

実利を得て目的を達成させられればいい。

そのくらいのスタンスの方が、交渉事はうまくいく。

 

 

ただ最近、気持ち悪く感じる時もある。

 

自分達が認められたい気持ちが強くなり過ぎて、

誰かを無理やり悪人に仕立て上げて、

正義の味方を演じるような事が至る所で行われている。

 

 

正義感が強い人ほど、

強くて偉い立場の人の決定に反対して、

弱い人を見捨てているなどとレッテルを張って

対抗しようとする。

 

高揚感は得られるものの、

そのアプローチでスムーズな問題解決は難しい。

 

叩く方は一時的な気持ち良さを味わえるかもしれないけれど、

叩かれる方は気持ち悪いので反発する。

 

すると争いに発展して揉める。

 

だから、「和を以て貴しとなす」の精神で、

包み込むように解決する方がうまくいく。

 

弱い人を守るのもいいけれど、

弱い人を発生させないように、

強い人を支援するのも素晴らしい。

 

苦しんでいる人を救うのもいいけれど、

苦しめている人を救う方も素晴らしい。

 

どちらかが良くて、どちらかが悪いのではなく、

どちらもいいと思えれば、争い事は起きなくなる。

 

傾向として、

弱者救済的アプローチは、

人に好かれて気持ちが良い。

 

強者を応援するアプローチは、

経済的貢献に繋がりお金が儲かる。

 

資本主義は本当にうまくできている。

 

人の感情を名誉・名声で満たすか?お金で満たすか?

企業においても、それをバランス良く取り組む必要性が出てきている。

 

社会でも、組織でも、家庭でも、

目立つ人の陰で、誰にも感謝されずに、

頑張ってくれている人が耐え切れなくなって、

そのうねりが色々な問題になって現れているだけような気がする。

 

 

きっと世の中に本当の悪人はいない。

 

仮想敵を作る事で

わかりやすく高揚感を得たい人の気持ちも受け入れながら、

清濁併せ呑む事をもっと意識していきます。