「経営コンサルタントって失敗しても責任取らずに逃げれるからいいよね。」

と昔、仕事の事を知らない人からよく言われてきたけれど、

責任が取れないからこそ辛い気持ちはなかなか理解されない。

 

でも、本当はみんなわかっているはず。

 

会社でも、家庭でも、

自分で責任の取れる範囲内の事なら言うほど悩まない。

 

大切な社員や家族。

自分の提案・決断1つで変えてしまう事になる他人の人生。

 

責任が取れないからこそ悩む。

絶対失敗させてはならないと本気になる。

 

しかし、どれだけ調べても、準備しても、

未来の事はわからない。

 

どんな決断をしたとしても、

絶対にリスクはゼロにはならない。

 

責任が取れない事まで

背負いこもうとしてしまって

苦しんでいる人は多い。

 

 

自分のせいで失敗させても、

まったく悪びれず、

ケロっとしていられる人が本当にいるのなら、

なんて羨ましい事だろう。

 

でもそれは、そうでもしていなければ、

心が押し潰されてしまうから、

ケロっとしたフリをしているだけのような気がする。

 

 

他人の人生を左右する決断を後押しするには、

提案する側にも相当な覚悟が必要になる。

 

その覚悟ができなくて、

もう一歩が踏み込めなくて逃げてしまいたくなる。

 

例えば営業マン。

 

自社の商品・サービスに本当に自信があるのなら、

「絶対買った方がいい!」と自信を持って言えるはず。

せめて「私があなたの立場なら絶対に買います!」と言えるはず。

 

実際本気でそう思い込んでいる営業マンは売れる。

 

しかし、責任を抱えるのが辛くて、

ほとんど営業マンは

お客様に寄り添う訳でもなく、

「お客様のお考え次第です。」

「全部オススメです。好みの問題ですので。」

とお客様にすべてを委ねて責任から逃げる。

 

するとお客様に対する想いも、

自社の商品・サービスに対する想いも芽生えない。

結果、感謝される事も少なくなって、仕事が楽しくなくなっていく。

 

 

会社でも一緒。

 

「上司が言った事だから」

「社長が決めた事だから」

みんなが上司に責任転嫁する。

 

「会社=他人」の扱い。

会社がどうなろうと関係ないかのように接するから、

会社が成長しても、言うほど喜べない。楽しくない。

 

結局、唯一逃げられない社長が

すべての責任を1人で過剰に背負う事になりがち。

 

責任は成長・充実感と同時にストレスをもたらす。

責任感が強すぎると苦しくなる。

 

特に会社・組織が大きくなって、

自分がコントロールできない事で、

責任を背負わなければいけないストレスは相当なもの。

 

これだけやってダメなら仕方がないと、

とにかく忙しくさせる事で

責任のストレスから逃れている人は多いかもしれない。

 

それでも逃げているだけなので、

少しでも暇になるとストレスは襲ってくる。

 

抱え続けているから苦しい。

休みの日が怖くなる。

リラックスできない。

自分を責めてしまう。

 

 

そんな過剰な責任の苦しみの呪縛から解放されるには、

自分の器の範囲まで責任を軽くするか?

責任が取れないと諦めざるを得ないところまで重くするか?

のどちらか。

 

例えば借金。

頑張ればなんとか返せてしまうくらいの借金が一番苦しむ。

途方もなく返せそうもない借金だともう無理だと諦めが付く。

 

会社も、子育ても、人間関係もすべて同じ。

自分ではどうにもならないところまでいくと、

諦めが付いて人の助けを借りられるようになる。

 

力のある人ほど、なんとかできてしまうからこそ起こる苦悩。

限界を超えるとそこで本当の感謝の気持ちが芽生えて覚醒する。

 

 

そもそも責任ってなんだろう。

 

「万が一何かあったらどう責任とってくれるんですか?」

と言う人はいるけれど、

会社が、上司が、親が、先生が、

なぜ責任を取らなければいけないのだろうか?

お金を払えば責任を取った事になるのだろうか?

 

元々は「してあげたい」という善意が、

いつの間にか「当たり前」に変わって

「責任を取れ」という言葉で

責められるようになっただけのような気がする。

 

すべて遡れば元々はなかったもの。

やらない事が当たり前だったもの。

 

いつの間にか「社員のため」が「社員の権利」に。

「お客様のため」が「会社の責任」になってしまっている傾向がある。

 

怒りの吐き出し口として、

いい人・頑張る人ほど責められて

苦しんでいる事がよくある。

 

なんだか息苦しい。

 

 

以前は仲間同士で配慮できた事が、

分業化・効率化が進み、

作り手・売り手の気持ちが理解できなくなった事で、

自分の権利・正論を振りかざす人が増えたのかもしれない。

 

法律的責任はわかるけれど、

道義的責任と言われると意味がわからなくなる時がある。

自分の常識を他人に押し付けて争う悲しい行為。

 

できる範囲でも少しでもやってくれた事に、

感謝し合えればもっとお互い気持ちがよくなる。

 

結局すべて自分次第。

本当の意味での責任は取れない。

 

だからこそ、誰かに左右されすぎる事なく、

自分のやりたいようにやればいい。

できる事をできる範囲でやればいい。

 

 

責任はストレスの原因であると共に成長の糧。

 

萎縮する事なく、

責任ともっとうまく付き合っていきたいです。