悩み事はないはずなのに、

満足もできていない。

 

本当に欲しいものがわからなくて、

モヤモヤしている人はきっと多い。

 

 

お金だってない訳ではない。

 

欲しかったはずものを手に入れても、

行きたかったはずの場所に行っても、

手に入れた瞬間、ポッカリ心に穴の空いたような気持ちになる。

 

満足できなくて、買っては捨てて、

また他の人が素晴らしいという新しい何かを探す。

 

それで満足できているはずだと思い込もうとするけれど、

心が満たされないのは自分が一番よくわかってしまって、

余計にモヤモヤしてしまう。

 

 

エアコン、テレビ、パソコンetc、

昔はあった”買いたいのに買えないもの”が減った。

 

それは会社も同じ。

 

あからさまに仕入れが足りない。

人が足りなくて業務が回らない。

資金繰りが悪くて倒産しそう。

 

そのくらいわかりやすく”足りない何か”がある会社は少ない。

 

衣・食・住。

人・金・モノ。

家庭でも会社でも生活・存続のために

最低限必要なものは既に揃っている。

 

 

みんなが物質的に豊かになり、

欲しいものがわかりにくくなったせいで、

気持ちの良いお金の使い方・仕事の仕方を

見失ってしまっているのかもしれない。

 

 

恋人ができた、

子供が生まれた、

初めて社員を雇った、

初めてボーナスを支払ったetc、

人は「ない」が「ある」に変わる時、一番心が満たされる。

 

そう思うと、人が本当に欲しいものはきっと、

昔欲しいものを手に入れた時の感情。

何とも言えない充実感、爽快感、ホッとした気持ち。

 

しかし、それはなかなかうまくいかない。

 

なぜなら、

もう一度同じような何かを手に入れたり、

目標を設定して頑張ろうとしたところで、

「ある」が「もっとある」に変わるだけだから。

言うほど心は満たされない。

 

 

服がない時に服を手に入れた喜びをもう一度味わうのに、

さらに新しい服を買ったってあまり意味がない。

 

数年で年商10億円の会社を作り上げた社長が、

11億円の年商を目指してもあまりワクワクしない。

 

もうすでに頑張ってきた人ほど、

簡単にはその心を満たせなくなっていく。

 

結局、一度壊してゼロに戻すか、

今までの延長線上にはない

やった事のない事・もっとできそうにない事に

チャレンジし続けるしかないような気がする。

 

 

さらに言えば、

心の欲求を満たす事に過剰に囚われ過ぎてしまう背景にあるのは

幼少期、両親からの愛情不足であるケースが多い。

 

 

その場合、本当に認められたい人は両親なので、

認められたいという欲求を、

友人・社員・家族に求めたところで、

それでは認められ足りなくてモヤモヤする。

 

そしてそのうち何のために

頑張っているのかわからなくなって苦しくなる。

 

ものすごく気持ち悪くて勇気のいる事ではあるけれど、

両親に「産んで育ててくれてありがとう」と言う事が、

心の欲求を落ち着けて、

自然体で生きるための第一歩になるのかもしれない。

 

 

本当の目的に向かって忠実に動いていれば、

欲しいものは自然な形で手に入る。

もし手に入れられなかったとしても心は充足している。

 

結果・数字・お金。

欲しいものに心を奪われすぎて

目的とは違う目標に向かって

無理に頑張ろうとするから

ストレスが溜まって苦しくなる。モヤモヤする。

 

そしていつの間にか目的を忘れ楽しくなくなる。

 

 

本来会社は、経営理念に忠実であれば関わるみんなが喜ぶ。

タイムラグはあるかもしれないけれど自然にお金は回る。

同業者は敵ではなくて味方になる。

 

 

本来人は、目的を明確に持てていたら、もっと自然に人生を楽しめる。

まわりのどんな言動も自分を高めてくれるアドバイスになる。

嫌な事を言ってくれる人も含めて、まわりの人はみんな味方になる。

 

 

人はもっとストレスなく、

もっと気持ちよく生きられるようにできているはず。

 

本質を追求していきます。