「もっと本気出して頑張れ!」
と叱る社長・上司・先輩達はいるけれど、
その意味・意図はなかなか伝わらない。
まず、本気で頑張った事のない人に、
本気で頑張っている状態の感覚はわからない。
叱られた方は、
「何を叱られているのだろう?」
「言われた事をやっているのになぜ?」
と思うのがきっと正直な感想。
そもそも、
「もっと本気出して頑張れ!」
と言われて本気で行動できるような人ならば、
もう既にそう言われなくても良いほどの結果を出せている。
あまり意味がない。
さらに言うと、
きっと本当の意味で、
「本気出して頑張っている人」は、
「本気出して頑張っている事」を
自分自身で認識できない事が多い。
例えば、
どうしようもなくピンチな状況に陥って
脇目も振らず何かに必死になっている人に、
「どうやったら本気で頑張れるんですか?」
と聞いても、
そうせざるを得なくてやっているだけなので、
イラっとされる。
例えば、
寝る間を惜しむほど好きな事に熱中している人に、
「どうやったら本気で頑張れるんですか?」
と聞いても、
頑張っている実感もないので、
ポカーンとされる。
なかなか分かり合えないのが普通。
人が自発的に、
本気で何かに夢中になれるとしたら、
それはきっと運命的な出会い。
どうしてもやりたくて仕方がない事
or
あんな風になりたいと心から思えたすごい人
に出会って、
そのエネルギー・ワクワク感に触発されて、
心を突き動かされた人が自然と
「本気を出して頑張っている」
ように見える行動を取れるようになる。
だから、よくよく考えると、
本当の意味で、
「本気を出して頑張った事のある人」は誰かに、
「もっと本気出して頑張れ!」なんて言わないはず。
好きだからこそ、
夢中になっているからこそ、
他の人が頑張らされて行動したくらいでは
辿り着けないほどの境地に辿り着ける。
そして、
本人が好きor仕方なくの理由で、
自然にやっていただけの事を、
人に強要しようなんて思わない。
そう思うと、
「もっと本気出して頑張れ!」
と言ってしまうような人はきっと、
やりたくもない事を無理して頑張ってきた人に違いない。
自分が苦しんでいるからこそ、
同じ組織の中で楽をしている人を見るとイライラする。
自分の苦しみをわかって欲しくて強要しようとしてしまう。
それはきっと子育ても同じ。
本当に本気で勉強をやってきた親は、
勉強はやらされるものではない事を知っているから、
子供に勉強を強要しようとしない。
「もっと勉強しなさい!」
と子供をしつこく叱る親は、
本当は勉強したくないのに苦しんで勉強してきた人。
もしくは、自身が今幸せを感じられず
自分みたいにはなって欲しくないと、
コントロールしたがっている人。
子供にとっては、
やりたくないからやっていない事を、
無理やりやらされるように誘導されても、
本気になれないし、長続きしない。
まさに苦しみのシェア。
「会社を倒産させてはならない!」
「結果を出さなければならない!」
「教育はしっかりやらなければならない!」etc、
本や講演で聞く話も同じ傾向にあるものが多い。
子育ても、勉強も、仕事も、経営も、
「しなければいけないもの」
として捉えて強要しようとするから、
楽しくなくなってしまう。
苦しんで頑張ってきた人の話は、
一部のマゾな人達には共感されるかもしれないけれど、
今の時代の若者達には「ああなりたい」とはあまり思われない。
仕事や勉強も、
アメトークのように、
自然にワクワク楽しくやっている人の
話を聞くと興味を持つようになる。
人を動かすには、
やらせるのではなく、
やりたくさせる事。
「勉強や練習、仕事自体がご褒美」
と思えるような状態をどう作るか?
何かに本気で夢中になっている人の生き様・想いに触れる事で、
本気で夢中になれる夢の探し方をもっと突き詰めていきます。