正義が悪をやっつける

勧善懲悪的な物語は面白い。

 

しかし、悪だと言われる方にも

それなりの背景・立場がある。

 

価値観が変わっていく社会において、

常識も善悪もとても曖昧なもの。

 

「どちらが正義でどちらが悪か?」

客観的な判断は本来なかなかできないはず。

 

例えば、

会社の不正を暴く主人公は正義のようにも思えるけれど、

何かを守るためにどうしても不正をせざるを得なかった悪役も、

見方を変えれば主人公になり得るような物語がある。

 

例えば、

今では尊敬されるような変革を起こした歴史上の人物も、

当時の人達にとってはきっととても迷惑な人。

 

変化をさせて波風を立てた代償に、

暗殺・裏切り・投獄・島流しなど、

悲惨な結末を迎えている事も多い。

 

 

すべての物事にはメリットとデメリット、光と影がある。

 

「自分が正義で反対する人は悪」

と思ったところで、

相手には相手の正義がある。

 

いつの時代も、どこの組織でもあるのが、

革新派と保守派の争い。

 

「現状が嫌いorもっと良くしたい」と思って変化させたがる革新派の人。

「波風が立つのが嫌or今のままが好き」で変化させたくない保守派の人。

 

変化させれば、前に進めば、それによって

デメリットを感じる人からの反発を受ける。

 

変化させないままでは、

時代の変化に取り残されて、

また別のデメリットがある。

 

互いが正義だと信じているからこそ、

互いに譲れない何かがあるからこそ争う。

 

両方を知っている立場からすると、

どちらも悪くないとわかっているから苦しい。

 

争いを止める事ができなくて、

無力感を味わっている人は多いかもしれない。

 

 

でもきっと争う事も悪い事ではないはず。

 

どちらが正しいかわからないからこそ、

検察と弁護士の関係のように、

争う事でその時代にあったものを

導き出していくようにできている。

 

 

理想と現実、自由と管理、戦争と平和 etc、

相反する2つの事は、

右に行って、左に行って

ジグザグに進化していくように

できているような気がする。

 

利益を追求しすぎると理想の大切さを忘れる。

逆に理想を追求しすぎると利益の大切さを忘れる。

 

楽しくやろうと自由を追求して混乱して管理の大切さがわかる。

管理を追求しすぎて窮屈になると自由の大切さがわかる。

 

平和になると守られている事を忘れて、リスクに対する備えが疎かになる。

災難があるから平和の大切さに気が付ける。

 

やり過ぎるくらいにやる事で、

そして何かを失う事で、

初めてその逆にあったのものの価値を知り、

その時代に合った”いい塩梅”がわかるようになる。

 

さらに前に進めるようになる。

 

 

正解のない道。

一直線に行けないのが当たり前。

 

とはいえ、

「右か左かわからない」と言っていたら

前に進めない。

 

右か左かどちらかに決めて

突き進むからこそ強い力で前に進める。

 

 

そこで強い壁にぶち当たって、

さらに突き進むのか?

それとも何かに気が付いて方向を変えるのか?

選択と決断の繰り返し。

 

進んでは壁にぶつかり、

ぶつかっては方向を変え、

ジグザグに進んでいくもの。

 

 

「何かを変化させる事=波風を立てる事」

 

人を喜ばせたいという

純粋な想い・行動の裏にさえ、

それを嫌がる人や、デメリットを感じる人が必ず出てくる。

 

 

結局、うまくやろうとすると、

我を捨てて、清濁併せ呑んで、ありのままを受け入れて、

したたかに損して得を取るように見える選択にたいてい落ち着く。

 

戦わない戦略。包み込みの発想。

 

しかし、それさえも、

「何を考えているのかわからない」「裏があるに違いない」

「決断力が足りない」「頭がおかしい」「交渉が下手だ」

などの批判を浴びる事にもなる。

 

 

何事も光の部分or影の部分を見るのか

解釈の問題。

 

ジグザグに進んで行く中で

大きい小さいは別にして

どうしても争いは起こるもの。

 

争いは悪い事ではないし、

そこには意味も価値もあるもの。

 

人に嫌われて苦しんだり、

争い合う人を見て「どうにかできたかもしれない」

と後悔しても仕方がない事。

 

 

ワクワクしていれば乗り越えられる。

好きな事なら突き進める。

それに値しないのなら進まなくてもいい。

道を変えてもいい。

 

どこまで争ってでもやりたい事なのか?

本気だった方が勝つ事で、時代は作られていく。

 

「叩きのめす勝負」というよりも、

「好きを競う勝負」と捉えれば、

争いはステキな判断道具。

 

争いを肯定的に捉えられるようになれば、

明るい気持ちでさらに一歩進んでいけそうな気がします。