人間みんな持っている”人の役に立ちたい”欲求。

 

小さな子供でも、

誰かにものを教えてあげたり、

親を手伝ったりする事に喜びを感じているのがわかる。

 

若者でも、

先輩やお客様に感謝される事に

仕事のやりがいを感じているのがわかる。

 

親にとっての子供、社長にとっての社員、上司にとっての部下etc、

誰かのためと思えるから頑張る事ができる。

 

きっと、

「もらう喜び」よりも「与える喜び」の方が、

刺激的に感じられるように

人の心はできているんだと思う。

 

 

仕事でもプライベートでも、

自分が頑張った事で

誰かが喜ぶ姿を見るのは最高に嬉しい事。

 

だから、

みんながみんなに何かを与えようとしている。

 

その与える何かはたいてい、

昔の価値観から来る「お金」に関わる何か。

 

しかし、その好意はもう溢れすぎていて、

お腹いっぱいになっているように見える。

 

 

例えばお年玉。

 

昔はお金がなくて、

買いたいものが買えなくて、

お年玉でサッカーボールを買ったり、

ラジコンを買ったりできた喜びがあった。

 

さらに昔にさかのぼれば、

毎月のおこづかいもなかった時代。

 

お年玉でお菓子を買えたり

ジーパンを買えたりできたのが、

ものすごく嬉しかったらしい。

 

そんな昔の子供にはあったお年玉に対する喜びは

今の時代の子供にはないような気がする。

 

 

ご馳走も同じ。

 

ちょっと昔は外食さえもなかなか行けなかった時代。

特別な時だけしか食べられなかった

お寿司、ステーキ、すき焼き、ケーキetc。

 

それがみんなが豊かになって、

普段から普通に食べれるようになって、

ご馳走に対する喜びは少なくなった。

 

さらに昔にさかのぼれば、

麦飯が当たり前だった時代。

 

お赤飯が出てくるだけで感動したと言われる喜びは、

もう味わう事はできない。

 

 

お金をもらっても、

言うほど買いたいものがない今の時代。

 

実際、お金は溢れすぎていて、

外国為替取引市場に流通しているお金の9割が、

投機的な使われ方をしていると言われている。

 

お金をもらう事・稼ぐ事に対する喜びの意識は、

昔の世代の人と、若者とでは、

相当かけ離れているような気がする。

 

そして、

若い人ほどお金では買えないような喜びを欲しがっているのに、

そこに対応する何かを企業はあまり提供できていないように見える。

 

 

お金がないと言う人はいるけれど、

食べるものや生活に困るレベルで

お金に困っている人はほとんどいない。

 

実際、人のお金の使い道のほとんどが、

生活不必需品。

 

それも情報が溢れた事で、

何かを購入しなくても、

何かを経験しなくても、

それを手に入れた時の感動を疑似体験できるようになった。

 

何かを探したくても探せなくて、

それでも苦労して見つけられた時の感動、

商品・サービスを買う事で味わえた感動も、

今では味わえなくなった。

 

そんな昔の時代の人が味わっていたような、

感動を今味わおうと思ったら、

スマホで調べる事ができないような新しいチャレンジや、

見せられても想像さえ付かない言葉にできないような体験しかないように思える。

 

例えば、

好きで好きでたまらない何かを完成させる事。

世の中でたった1つしかない誰かのためのプレゼントetc、

損得勘定では測れない無意味に思われるような事。

 

 

それは別に悪い事ではなく、

素晴らしい時代の進歩。

 

商品・サービスを購入しなければ味わえない感動よりも、

商品・サービスを購入しても・しなくても味わえる感動の方がステキなはず。

 

勉強したら幸せになれるという世界観よりも、

勉強しても・しなくても幸せになれるという世界観の方がステキなはず。

 

 

そう思うと今、

当たり前のように行われている仕事の形も、社会の形も、

今後さらに変わっていくように思える。

 

それはきっと、

「もっともっと!」と足し算で満たしていく考え方ではなくて、

本当に幸せに感じられる何かを磨き込むように生きる引き算的な発想。

 

他の人がやれる事は他の人にやってもらえばいい。

 

不必要なものをトコトン手放して、

好きな事にトコトンのめり込む事で得られる幸福感。

 

自分にしかできない事で誰かの役に立つ喜びを、

それぞれの人が味わえるような世界観。

 

 

頑張る事に幸せを感じる人もいるし、

頑張らない事に幸せを感じる人もいる。

 

すべては人それぞれ。

 

社会がそのすべてを

受け入れられるようになったら素晴らしい。

 

人口が減少しても、

規模拡大しなくても、

遊んでも、サボっても、

それでも元気で楽しく幸せに

毎日を過ごす事ができた方が素晴らしい。

 

不必要なものを手放した結果として、

幸せ・喜びの総量が増えていく形。

 

 

こうでなければならないという

常識・執着を捨てる事ができたなら、

人が向かう先は好きな事を好きなようにする喜び。

 

人それぞれの個性を活かして、

その結果として誰かに喜んでもらえる喜びを

一人一人が味わう事ができる社会。

 

時代はその方向に流れているような気がする。

 

きっと未来は、

お金のために仕事をしていた事が笑い話になるくらい

みんながもっと自由に自分の人生を楽しむ事ができるようになっていると思うのです。