小学1年生の息子の行動・考え方に触れると、
自分の価値観・常識が古くて固まってしまっている事を
よく思い知らされる。
例えば息子に、
「ケーキ食べる?」
と与えようとしても言うほど喜ばない。
息子が喜ぶ事は、
・親が知らないポケモンを教える事
・親ができないゲームをクリアする事
・親に代わって何かを振る舞う事
・役に立てるようになった自分を褒めてもらう事 etc。
もらう喜びよりも、与える喜びに完全にシフトしている。
これは私の家庭だけの話ではないはず。
どれだけ貯金・収入があるかに関係なく、
今の子供・若者は、
ものもお金もそれなりに満たされているように見える。
実際、若者に欲しいものを聞くと、
お菓子・服・カバン・アクセサリetc、
今持っているお金でも買えるレベルもの。
お金がなくてご飯が食べられなくてお腹が空いているのではなく、
お金があって美味しいものを食べ過ぎているが故に
ダイエットに困っているという平和で豊かな社会。
そんな今だからこそ、
人のニーズが、
心を満たす方にシフトするのは当たり前の話。
逆にひと昔前は、
ものやお金が満たされていなかった代わりに、
買えないものを買う喜びがあった。
ある意味それで心を満たしやすかったとも言える。
・ボーナスをもらって帰ってきた父親はそれだけでヒーローになれた
・帰りが遅くなっても昇格して給与が増えたら家族が喜んだ
・外食やケーキを食べる事が貴重でただそれだけでワクワクした
・高い車を買ったりハワイに行くのが高嶺の花で憧れだった etc
年配者は、そんな古い価値観・常識を植え付けられてしまっているからこそ、
新しい価値観・常識の子供や若者に対して、
「これは喜ぶに違いない」
と勘違いして喜ばない事を押し付けようとしてしまう傾向にある。
子供や若者も空気を読んで、
「そんな事をされても嬉しくない」
と本音を言う事もできず、
世代間コミュニケーションがうまくいっていないように見える。
私も、
「息子にケーキをあげたら喜ぶ」
と思ってしまっていたけれど、
実際、息子にとっての
「ケーキ食べる?」
は、私にとっての
「バナナ食べる?」
と同じくらいの価値なんだと思う。
逆にバナナが高級品だった私の親世代の人にとっての
「バナナ食べる?」
は、私の世代にとっての
「ケーキ食べる?」
と同じくらいの価値をイメージして言っているのかもしれない。
そして私が今息子に、私が感じる
「ケーキ食べる?」
レベルの喜びを与えようとするならば、きっと
「お父さんケーキ食べたい!ケーキ作ってくれない?」
とお願いして、私が全力で喜ぶ事にその価値があるような気がする。
ジェネレーションギャップによる弊害は
子供や若者の教育にも現れている。
昔の世代の人にとっての教育に対する時代背景は、
・お金がなくて大学に行きたくても行けなかった
・いい就職先がなくて、安定しない個人事業主になって苦しんだ
・転職が難しくて、1つの会社に縛られる必要があった
・インターネットがなかったため、考えることよりも記憶している事に価値があった etc
そんな昔の価値観・常識に囚われてしまっているからこそ、
年配者は子供や若者に詰め込み教育をしたがる。
一方的に教えてあげる事、覚えさせる事重視になってしまう。
きっと今の子供・若者のニーズを考えると、
心を満たすために、
教えたい、話を聞いて欲しい、役に立ちたいなので、
社員教育もそこに合わせたカタチが求められているような気がする。
ものやお金で満たせなくなった
承認欲求をいかに満たすか?
SNSもネットゲームも
承認欲求を満たす1つの手段として
本当によくできている。
自分にしかできない事で役に立って、
誰かを笑顔させる事ができる喜びは、
今の時代、きっとお金以上に価値がある。
今の時代の子供や若者にとって、
もらう喜びはもうお腹いっぱい。
「こんなを与えてあげているのに!」
とイライラしてしまっている年配者は、
早く気が付いた方がいい。
与える喜びを独り占めしない事。
誰かの役に立つ喜びを共有する事。
社長と社員、嫁と姑、親と子etc、
ただ価値観・常識の違いを知らないだけで、
本来もっと仲良くなれるはず。
時代背景の違いをほんの少し理解するだけで、
不必要なイライラ・すれ違いは、
大きく改善していくような気がする。