尊敬する人たちに昔から

「歴史を勉強した方がいい」

とよく言われてきたけれど、

最近になってようやくその本当の意味・意図がわかってきたような気がする。

 

どんな出来事も、

過去からの「流れ」として見れば

真実も未来もボンヤリとわかるようになって心が安定する。

 

逆に、何もかも、

今一瞬に囚われてしまうと、

物事を見誤って、心が惑わされやすい。

 

 

例えば、外交問題。

 

「頭のおかしな国家・トップが他の国に迷惑をかけている」

と捉えてしまいがちだけれども、

そうせざるを得なくなった過去からの流れがあって今がある。

 

特定の誰かだけが悪いなんて事はあり得ない。

 

 

例えば、いじめ・パワハラ問題。

多くの人が、

「可哀想な被害者 vs 悪い加害者」

という単純な構造と解釈して加害者を糾弾しようしがちだけれど、

加害者にはたいていそうせざるを得なかった理由がある。

 

それを知りもしないで、

「被害者は可哀想だ!」

「あんな事をするなんておかしい!」

と叩いたところで、根本的解決にはならない。

 

 

病気もそう。

「あんな病気になって可哀想に・・・」

とまわりの人は言うかもしれないけれど、

もし病気になった本人がしてきた自堕落な生活習慣を知れば、

それは自業自得と言いたくなるかもしれない。

 

毎日ストレスを抱えるような仕事をして、

暴飲暴食して体を壊す人に対して、

薬による治療法が良しとされているのは、

なんだか違うような気がする。

 

 

会社の業績不振・人間関係の問題もそう。

 

過去からの流れがあって、今の結果がある。

 

今一瞬の結果だけを見て、

物事を判断して改善しようとしても、

それは対処療法的・短所是正的なものにしかならない。

 

また同じ・似たような課題に直面するだけ。

 

 

目の前に起こる課題は、

根本的な原因・本当の課題に

気が付かせてくれている大切なサイン。

 

何かの課題・現象が見えた時、

「その根本的な原因は何か?」

「本当の課題は何なのか?」

を把握して対応するからこそ、

さらなる成長に繋がる。

 

大変に見えるような出来事が起きても、

「この出来事は何を私に気が付かせてくれているのか?」

「どんな成長を与えてくれようとしてくれているのか?」

と捉えられたら、

人生というゲームをもっと楽しめるようになるはず。

 

 

目の前に起こるいろんな出来事を、

「流れ」として捉えると、

世界の見え方が変わってくる。

 

それはきっと穏やかで平和な世界。

 

実際、何があってもいつも笑顔でいられる人ほど、

世界に悪いものは何もなく、

すべてが調和して一体化しているように見えていると言う。

 

自分自身の捉え方に対しても、ある意味冷めていて、

「自分」という人を俯瞰して見て、

流れに沿うように動いているだけという感覚。

 

もし自分の行動で誰かを傷つけるようなことがあったとしても、

流れに沿って、自分の役割をただ果たしているだけだといちいちヘコんだりしない。

 

何があっても、「面白い」と楽しめる。

 

 

流れで捉える考え方。

 

「速く走ろうとしない。ただ体を移動させるだけ。」

「相手との勝負ではなく、ただ自分の演技をするだけ。」

「勝ち負けにとらわれない。大切なのはそのプロセス。」etc、

スポーツ選手も、芸能人も、芸術家も、経営者も、

その道を突き詰めた一流の人になると

みんな同じような事を言っているように思える。

 

何事も、

「今、どうなのか?」

と現在・一瞬だけを見て対応するのではなく、

過去と未来の話を踏まえて対応していった方が理想の未来により近づく。

 

たった1つの改善で、

他の課題も含めて一緒に改善されて、

より自然で根本的な解決に繋がる。

 

流れとして捉える事をもっと意識していきます。