仕事でもプライベートでも、

やりたい事をやるために、

やりたくない事をやっている人は意外に多い。

 

会社でも、

「このままでは会社が危ない!だから頑張らなければならない!」

一見正しい事のように思える事を言う人はいる。

 

しかし、たいていそれは、

頑張らなければ潰れるような事業自体に課題がある。

 

会社は社会の役に立っていれば、

存在する必要性があれば、

自然な形で存続するようにできている。

 

それにもかかわらず、

無理なドーピングをしてなんとかしようとしたところで、

短期的にはなんとかできても、

苦しくて不自然な事は長続きしない。

 

会社本来の目的であるはずの

「お客様のため」を差し置いて

会社を潰さない事が目的に変わった会社は崩壊していく。

 

 

苦しんで頑張っている人ほど、

まわりにも同じ苦しみをわかって欲しいと、

呪いのような苦しみのシェアしようとする傾向は強い。

 

しかし物事は、楽しい事だからこそ広がる。

 

苦しみのシェアは同じように苦しんできた人に最初共感はされるけれど、

苦しい話はやっぱり楽しくないので自然に人が離れていく。

 

 

「やりたい事をやったらいい」

とよくアドバイスされるけれど、

それはきっと、

やりたい事をやれば楽しいから。

 

どんなに素晴らしい事でも、

それを嫌々苦しんでやったらうまくいかない。

 

たとえそれが無意味な事であったとしても、

ニコニコ楽しんでやっていたら、

人もお金も集まる。

 

やりたい事をやっている時の

楽しいプラスのエネルギーが

人を惹きつけて広がっていくように

できているような気がする。

 

 

だからといって、

やりたくない事をやっている事に

価値がないわけでもないはず。

 

なぜなら、やりたい事をやる本当の価値に気が付けるのは、

やりたくない事をやってきた人だけだから。

 

失敗したり、苦しんだりする事も、

それは無意味ではなく、とても価値のある経験。

 

 

喜怒哀楽はセットになっている。

 

哀しみがあるから、喜びがあって、

怒りがあるから、楽しみがある。

 

喜びも楽しみも単体では味わえなくて、

その逆の哀しみ・怒りの感情があるからより深く味わえるもの。

 

そう思うと、不必要に見える事・無意味に見える事にも

全部引っくるめて必要だからこそ存在するもの。

 

売上が下がって悲しんで、上がって喜ぶ。

人が退職して悲しんで、また採用して喜ぶ。

失敗して悲しんで、成功して喜ぶ。

 

うまくいったり、うまくいかなかったり。

そんなドキドキ感があるから、

人生は楽しめるもの。

 

うまくいっていないように見える事も含めて

全部うまくいっている。

 

目の前に起こる出来事を味わって生きていきたいです。