貧しかったり、仕事がなかったり。

 

苦難に見える状況にある事と、

幸せを感じられているかどうかは、

きっとあまり関係ない。

 

海外で衣食住さえ足りていない

貧困層と言われる人でも、

笑顔で暮らしている。

 

少なくとも彼らの悲壮感はゼロ。

 

時間に追われて過ごす日本のサラリーマンよりも、

のどかに人生を楽しんでいるようにさえ見える。

 

 

何かに悩んでいる人の話を詳しく聞くと、

それは現在進行形の苦しみではなく、

ほとんどが将来の不安。

 

子供の大学資金が心配で・・・

老後の暮らしが心配で・・・

体が不健康になったら心配で・・・

会社の将来が心配で・・・etc

 

今は大丈夫なのに、

勝手に暗い将来を妄想して

不安に駆られてあたふたしているだけに見える。

 

例えばお金1つ取ってみても、

貯金ゼロでも

「まぁ、なんとかなるさ」

と何の不安もない人もいれば、

貯金が数千万円あっても将来に不安を抱える人もいて、

客観的に見るととても興味深い。

 

 

無邪気な子供達を見ているといつも感心させられるように、

人生を楽しむコツはきっと、

今を生きているかどうか?

 

「お金がなくてもなんとかなるから大丈夫。」

「会社がなくなったってどうにでも働けるから大丈夫。」

「死にたくなったらいつでも死ねるから大丈夫。」

 

そういう理屈もあるけれど、

今を全力で楽しんでいる人にとっては、

そもそもそんな事さえ考える時間がもったいないくらい、

時間を忘れて何かに夢中になっているように見える。

 

それは苦難な状況に陥っていても同じ。

 

たった今、本当にお腹が空いてヤバい状況になっていたら、

悩むヒマもなく、食べ物を探し回る。

 

たった今、本当にお金が足りなくて困っていたら、

悩むヒマもなく、金策に走り回る。

 

どうしようもない苦難に陥っていたら、

悩むヒマもなくどうにかしようとしているはず。

 

それなのに、

悩んで行動できなくなってしまっているという事は、

どうでもいい余計な事を考えすぎているから。

 

行動しないでただ悩むような状況に陥っていたとしたら、

それは必死・本気で行動する緊急性もないほど、

ある意味、ヒマで満たされている状況と言えるかもしれない。

 

 

「もし・・・になったらどうする!?」

と、将来の失敗を恐れすぎるが故に、

今を犠牲にしてしまうのは本当にもったいない。

 

不安になってしまうのはきっと、

今に夢中になれていない人が、

誰かに依存して、誰かの考えに流されて、

誰かに自分の人生を委ねてしまっているから。

 

本当に今が楽しければ、

将来の不安なんてどうでも良くなる。

 

 

そして、広い視点で物事をとらえれば、

たいていの物事はただの器・手段であって、

たいていの悩みは大した問題ではない事がわかる。

 

会社が潰れたらどうしようと言う人はいるけれど、

会社はただの器。

 

社長に力があれば、社員に価値があれば、

そもそも関係会社が放っておかないし、

たとえ潰れたとしても簡単に作り直せる。

 

借金で家に住めなくなったらどうしようと言う人はいるけれど、

家だって人の暮らしを彩るただの器。

 

家族が笑顔である事の方が大事なはず。

 

住宅ローンに追われて喧嘩が増えて、

家族の笑顔が消えてしまっていては本末転倒な事。

 

お金がなくなるのが不安と言う人はいるけれど、

お金だってただの手段であってツール。

 

何かのために必要であるだけで、

お金そのもので困る事はないはず。

 

守らなければいけないと思っていたものは、

本当の本当に守る必要のあるものなのか考えると、

手放しても大丈夫なものである事も多い。

 

そもそも、お金を運んで来てくれる人(上司・部下・お客様・関係先etc)を

本当に大切にしていたのなら、

困った時には助けてもらえるし、

自然にお金には困らないようになっている事も多い。

 

 

自分が儲けたければ、

自分のまわりの人を儲けさせればいい。

 

自分が笑って過ごしたければ、

自分のまわりの人が笑顔になるような行動をすればいい。

 

そうすれば自然に自分にもおこぼれが回ってくる。

 

そして、自分が誰かのために何かをしているそのプロセスは、

何事にも代えがたいほど楽しい。

 

自分がそうやって楽しんでいれば、

自分だけでなく、まわりの人も将来も、

自然にうまくいくようにできているはず。

 

 

将来の不安という妄想に振り回されすぎず、

無邪気な子供のように、

全力で今を楽しんでいきたいです!