アートぷらす 代表 ありす智子
<マンガ好き・根暗だった学生時代>
滋賀県生まれ。父と兄の影響で、物心をついた時には少年マンガにはまっていた。女の子なのに北斗の拳に涙するような小学生。マンガの世界に浸って、友達には興味を持てなかった。
「犯罪や戦争を起こす人間は、なんて愚かなんだろう」と思うようなマセた性格で学校に馴染めず、同級生とも話が合わなくて、学校でイジめられて嫌になって、兄と一緒にマンガを描いて徹夜するくらいマンガという空想の世界にのめり込んでいた。
そんな私の救ってくれたのもマンガだった。同級生がマンガに興味を持ち始めた時に、みんなが好きなマンガのイラストを描くと褒めれる。はじめて自分の長所に目を向けてもらえて、人に認めてもらえるのがとても嬉しかった。
我が道を行く感じではあったけれど、中学校、高校と目立たないようにイジめられないように、それなりに過ごしてきた。そんな中ではじめてマンガ以外に「面白い!」と思ったものが政治・経済の授業。受験にはまったく関係なかったが、世の中を動かしてきた近代の政治や思想、時事ニュースや戦争の裏側を詳しく教えてくれる先生の授業が楽しくて仕方なかった。普通だったら考えられないようなヒドい事や愚かな事をする人達のその裏側にある理由を知って「愚かで醜いこの世界」を変えられるかもしれないとワクワクした。
しかし現実に戻って、私にそれができるかを考えると、根暗でコミュニケーション能力も低くて友達もいない私には、そんな事は絶対にムリだと思った。夢を見る事さえもできないダメダメな自分が悲しくなった。
自分に自信を持てるようになりたい。もっと何かができる自分になりたい。そんな自分を変えるにはどうしたらいいんだろうと考えた時、ピンと閃くものがあった。それは東京に出る事。「東京に行ったら自分が変わる、いや絶対に変えられるはず!」と根拠もなく確信していた。
すぐに「東京の専門学校にいきたい!」と親に相談した。しかし親の答えは「ノー」。「専門学校くらいなら大阪でいいでしょ。青山学院以上のクラスの大学だったら認めてあげる」と言われた事がキッカケで、高校3年生の夏からはじめて受験勉強をスタート。とは言うものの、受験勉強は楽しくなかった。勉強をすると1分で眠くなってしまう。塾にもいかず、勉強をサボってテキストにマンガを描くような毎日。もちろん成績はまったく上がらず、雰囲気が良くて「ここ行きたい!」と思った津田塾大学の模試結果も最低のFランクだった。それでもなんとかなると甘い考えでいた時、高校3年生12月の三者面談で担任の先生から「そんなんで大学に行ける訳ないだろう!現実を見ろ!」と言われた事が悔しくて、「絶対に合格してやる!」と燃えはじめる。
とはいえ、成績も最悪。普通に勉強をしても無理だと思って、取り組んだのが勉強法の勉強。雑誌で見つけた「潜在能力を引き出すイメージトレーニングCD」を使って、心を落ち着けて集中状態を作る勉強法を取り入れて実践したところ、暗記能力が一気に加速した。特定の科目・内容に絞って勉強した事もあって1ヶ月で偏差値30も上がって無事、津田塾大学に合格。はじめて実家を離れ、ウキウキした気持ちで3人部屋・学生寮での東京暮らしがスタートする。
<東京に行って挫折・就職活動の失敗>
東京に行って自分を変えようと意気込んでいたものの、すぐさま挫折を経験する事になる。無理をして明るい性格を演じていた事がルームメイトに嫌がられていたようだった。
顔を合わせている時は普通の対応をしてくれるのに、私のいないところで「あの子、うっとうしいよね」と陰口を言っているのがわかってしまい人間不信に陥る。ルームメイトとずっと一緒の空間にいるのが辛くてどうしようもなかった。昔のイジめられていた私に逆戻りしてしまうような気がして吐きそうになった。苦しくて親に泣きついて、一人暮らしを懇願。
とはいえ、そんなお金がある訳もなく、アルバイトを掛け持ちしながら家賃を払う極貧生活。昼はパン屋で働いて残り物のパンをもらい、夜の居酒屋のまかないでなんとか食事をやり繰りするという生活だった。
ふと思うと、自分に自信を持つどころか食べていくのがやっとの状態。なんのために東京の大学に来たのかわからなくなって悲しくなった。
このままではダメだと、なんとかお金を工面し色々な事にチャレンジした。英語サークルに入ってイベントの司会をやったり、アメリカに行ってみたり、色々なバイトを経験してみたり。それでも、コミュニケーションは苦手なまま、自分を変えられた実感は得られなかった。
親に迷惑をかけて東京に出てきたものの、根暗な自分を変えられた訳でもなく、自分に自信を持てないまま。大学4年生になって、就職活動をし始めるものの、仕事・会社に興味を持てない。世の中を変えられるような仕事なんて見つけられるはずもなかった。
そんなスタンスだった事もあって、会社説明会に行っても書類審査でかなり落とされ、面接に進んだ15社も断られる。就職氷河期で圧迫面接もよくあった時代。面接官に否定され、たださえ自分の事をよく話せないのに、責められて頭が真っ白になってしまっていた。時には面接で社長に「態度がなっていない」と叱られて涙することもあった。断られ続け、自分が社会の役に立てない、誰からも必要とされないような人間なんだと自己否定に入ってどうしようもない状態になっていた。そんな私を見て、公務員だった母が心配して公務員試験を勧めた。気は進まないものの、もう仕方がないと思って勉強した。しかし、公務員試験の当日に体を壊し病院に運ばれ試験さえも受けられなかった。唯一自信のあった健康な体も守れない自分が情けなく、親に申し訳なく、泣きはらした。
<ビジネスの世界へ・中国茶事業部でもがく日々>
そんな私を助けてくれたのが、マンガに熱中しすぎて塾の講師のバイトを忘れるくらい変わっていた同級生。彼女が私に語ったのが就職先に対する熱い想い。その会社は社長直轄部隊で中国茶を開発して売り出すと言う。変人の彼女を採用して、しかも彼女がのめり込むようなその会社に興味を持った。
実際飲んだ中国茶で私も元気になった事あって、彼女の紹介でその会社の面接を受けることになった。社員100人規模のしっかりした会社にもかかわらず、社長が直接私にストレートな夢や想いを語ってくれた。面接というよりも、友達感覚での話し合い。「夢はあるの?」など、人事担当者との形式的な話ではなく、本質的な会話をする社長と会社の経営理念に引き込まれた。そんな社長も、言葉足らずながらズバズバと意見をいう私の事を「面白い」と思ってくれたようだった。意気投合してその場で内定をいただき、インターンシップで初めて「ビジネス」の世界に入ることに。
大学を卒業し、入社してすぐ同級生の彼女と2人だけの社長直轄の中国茶事業部に配属。責任者に抜擢される。営業を行う彼女と、企画・ホームページで販売する私。大変だったが、超実践主義の社長に色々教えてもらいながら、とにかく行動して試行錯誤するような毎日。2人ですべて自由にやらせてもらえる仕事は本当にやりがいがあった。
しかし、要領が良く評価を得やすい私と、人一倍努力しているのに大事なポイントでミスがあるなどで怒られてしまうのはいつも彼女。結局、色々抱えていた彼女の苦しみに気づけず、数か月で退社。中国茶事業部は私一人ぼっちになり、営業もホームページも企画もすべて行う事になった。
それからというもの、成果は上がらず、逃げる事もできず、すべてが空回り。売り上げを上げなければいけないというプレッシャーで鬱になりかけていた。社長だけは守ってくれていたのも、社内で完全に浮いてしまっていた。
<マンガをキッカケに成功をつかむ>
自分を認めてくれた唯一の会社で初めて見つけた自分の居場所。ここで逃げる訳にはいかないと、中国茶事業部をなんとかするための勉強を始めた。
思えば何の経験もノウハウもない新卒の社会人が、丸腰で戦ってもうまくいく訳がないと、セミナーや書籍、勉強会にもドンドン出席するようになった。まずは、営業でうまく話せないから、会社の歴史をマンガにしてみた。
「面白い会社ですね!」と興味を持って話を聞いてくれるようになり、少しずつ営業の成果が出せるようになった。目の前の課題に自分の持っているもので一生懸命工夫した結果、しばらく忘れていた「絵」「マンガ」という趣味が強みになっていった。
そんな中、私を大きく変えた出会いが神田昌典さんの本。「これだ!」と大きな衝撃が走る感覚。「これをやったらうまくいく!」とすぐ実践した。同じように業績UPに前向きに取り組んでいる楽天ネットショップの店長の勉強会や、神田昌典さんの勉強会の仲間にも応援されて、はじめて仕事は一人でしているんじゃないと感じる事ができた。
頑張る同業者の仲間ができて、互いに刺激・応援しあって仕事に取り組める環境。困っている私に、なんでも出し惜しみなく教えてくれる社会人に出会い、「こんなカッコいい大人もいるんだ!」と感動し仕事がとても楽しくなった。ドンドン勉強してドンドン実践して、成果も出始めた。とはいえ中国茶はそこまで売れない。なんとかしようと、中国茶に加えて、スイーツを研究する事になった。勉強会の仲間がチーズケーキだけで年商1億円という事例を聞いて、ノウハウを教えてもらい、美味しい大福に顔のイラストを描いたスイーツ。これがカワイくておいしいとマスコミに取り上げられるようになって大ヒットに繋がった。
思えば、欠点だらけで自己否定していた自分だったが、コミュニケーションが苦手だからこそ、絵やマンガで伝えたり、いろんなアイディアを出したり工夫したりして、特技になっていった。マイナスがあったからこそ、特技を伸ばせた。そして、お客様や上司を喜ばせようと常に一生懸命に試行錯誤して実践する過程を通して、少しずつできることが増え、自分の長所に気づき、自分に自信を持てるようになっていく。
ドンドン会社の事が大好きになって、人事や教育、海外駐在などたくさんの経験で成長させてもらって、会社には感謝の気持ちでいっぱいだった。しかし会社でできる事はすべてやったと思う頃にはすでに30歳になっていた。家庭を持つ事にそろそろチャレンジしたいとお見合い結婚して、妊娠中に退職。もっと新しい事がしたいと思っていた私に、今度は子育てだとワクワクする気持ちがあった。会社を辞めて子育てに専念したいという私に「人づくりは最大の社会貢献」という会社の理念を持って社長も背中を押してくれた。
<子育てへの挑戦・そして起業へ>
退職してからは、胎教、早期教育、マクロビ、自然食品など、子育てにトコトンのめり込んだ。とはいえ子育ては思った以上に大変で「自分で自分の人生を切り開ける子供に育てたい!」と高い理想を持って育児をするものの、子供は泣いてばかりで思い通りにいかない。そんな中でも同じように意識の高い親友と呼べるママ友との出逢いのおかげで、子育てを楽しめるようになった。
ところが2年後、2人目の妊娠・出産の際に、産後鬱に。私もイライラがピークで、家事が追いつかないから夫もイライラ。そのストレスで別居を考えて不動産屋にいってみると、収入がない主婦は家が借りられない事がわかり、ワンルームすら借りられない自分の情けなさに憤りを感じた。
自立できていない自分が悔しくて、子育てしながら働く事を決意。とはいえ、「6歳までの子育てが一番大事」の信条を持ち特殊なモンテッソーリの幼稚園に通わせる私。朝早くから夜遅くまで子供を保育園に預けて働く仕事の仕方は嫌だった。そうすると選択肢は会社員ではなく、起業して自由にやるしかないと思うようになっていた。今しかできない大切な子供との時間を大切にしながら、1日3、4時間時間に縛られずに働くスタイルを確立したいと思った。
ネットショップの友人の会社で少しずつ働く中で起業の準備。クラウドワークスで仕事を受注しながら少しずつ稼ぐ事ができるとわかり、2013年36歳で起業。翌年、イラストの勉強をする中で、似顔絵がかけるようになった事で、イラストの仕事が本格化。前職でやっていたA4・1枚の営業ツールを参考に、似顔絵と会社の紹介を組み合わせたビジュアルマップのベースができる。「こんなの仕事になるのかな」と思いながら、知り合いを中心にワンコインでやっていた活動が、ある時「これ5万円くらいの価値あるよ!」と言われてビックリする。たまたま受けたセミナーの内容をA4・1枚でプレゼントした事がキッカケでFacebookで紹介がドンドン広がるようになって、5万円の価値があるという事がはじめて実感して、ビジュアルマップが事業になっていくようになる。
<ビジュアルマップづくりと今後の夢>
ビジュアルマップづくりで様々な人と出会い、4時間ものヒアリングをしてお客様と向き合うとわかるその会社・商品の本質的な価値。その価値をイラスト化して伝わりやすくする事で、営業がスムーズになりうまくいく事がわかった。「もったいないハンター」として会社の価値をイラスト化する事ももちろん大事だけれど、今後私が取り組んでいきたいのが、社員の長所をイラスト化して、社員一人一人が自分に自信を持ってもらって、活躍の場所を作るお手伝いする事。
ビジネスの現場は、営業力がある人、自分をアピールする事がうまい人が目立つし、独り勝ち状態になってしまって、そうでない「負け組」社員は、自分はダメなんだと落ち込んでしまうような状況がある。でも実際は、口下手でも、他の長所で自分を活かせる仕組みさえあれば、絵が上手、文章が上手、話を聞くのが上手、気配り上手、整理整頓上手など、自分の特技を活かしてやりがいを持ちながら働けるんじゃないだろうか。
自分に自信が持てなかった私でも、もともと持っていた特技を活かせるようになったことで自分に自信が持てて、会社の中で自分の役割やポジションを見つけて、やりがいを持って働けるようになった。社員一人一人がそれぞれの長所を認識して、個性にあった活躍の場を作る事ができれば、もっと一人一人の価値が発揮され、より良い組織になると思う。
それを解決できる1つの手段が、今考えている「企業内ビジュアル化コンサルティング」である。社員の価値を見える化する「ビジュアルマップ」や似顔絵を元につくる「キャラクターマップ」などのビジュアルツールの作成や、昔の私のように社内で社員の価値を見える化できる「社内ビジュアライザー」を養成する。それによって社員同士がお互いの価値を尊重しあえ、得意な事で貢献し合え、そんなチームの力で成果を出していけるような中小企業づくりを応援したい。まだまだ事例もなく、形もあやふやだが、一歩ずつ小さな実践をして試行錯誤していけばきっと、「一人一人が持って生まれた才能を周りと分かち合いながら、自分らしく楽しくやりたい事にチャレンジし、そんな大人を見て子どもが未来にワクワクする社会」という理想に近づいていけると思う。