世の中にあるすべての仕事は、
誰かに喜んでもらうために存在している。
作られているすべてのもの、
流通しているすべてのものが、
人を笑顔にするために存在している。
そう思うとこの世界は
愛で満ち溢れていると言える。
では、
今ある何か以上に
素晴らしくて画期的な商品・サービスが生まれたら、
社会に広まるかと言うと
現実は意外にそうならない事も多い。
例えば、
洗剤なしでも綺麗に洗濯ができる技術が完成されたら、
それは環境にも優しく、とてもステキな事のはずなのに、
洗剤メーカーから徹底的な妨害にあって広がらない。
病院や薬がなくても病気を治せる技術が完成されたら、
よほどうまくやらない限り、
医療業界・医薬品メーカーから徹底的な妨害にあって広がらない。
社会にとって素晴らしい画期的な何かほど
既得権益を破壊する。
たとえ多くの人の笑顔に繋がるとわかっていたとしても、
お金や権力を持つ既得権益者は、
会社や社員、利害関係者を守るためにと
素晴らしい何かが広まる事を強く妨害する。
AI脅威論も同じ。
今まで人がやっていた仕事が
AI・ロボットでできるようになれば、
それはとても素晴らしい事のはず。
人はやりたくなかった事をしなくて済むようになる。
もっと自分が好きな事に没頭できるようになる。
「こんなキツい仕事早く辞めたい」
と言っていたはずのサラリーマンが
「AIに仕事を奪われる!」
と怯えていたり、
「親父の会社なんて継ぎたくない!」
と言っていたはずの社長が、
ロボット会社に技術を盗まれると言って叩こうとしたり。
とても興味深い反応をする人も多い。
もし本当にその仕事・作業が好きならば、
プラモデルを作るように、
1つの趣味としてお金をもらえなくてもやればいいだけ。
AI・ロボットによって、
「何も考えずにお金のために働く」
という事から解放されて、
「何をやりたいのか?」
が強制的に問われるようになる時代が
間近に迫っているように思える。
とはいえ、そんな事は、
AI・ロボットを批判的に捉えている人には伝わらないばかりか、
逆に怒られるケースもある。
変化は時として、
人を感情的にさせる。
そうなってしまう根本的な原因は、
現代人が強く持っている所有の概念。
会社も、仕事も、技術も、お金も自分達の所有物で、
それを誰かに奪われると思ってしまっている人は多い。
でも本来は、そこに所有の概念は必要ないもの。
会社は経営理念を実現させるためのただの器。
仕事は本来「事に仕える」という漢字のとおり、ただの役割。
技術はみんなを笑顔にするために作られたもの。
お金だって、自分や他人を笑顔にするための交換手段の1つでしかない。
元々そこに執着して守る必要なんてないし、
本来必要となくなるくらいの方がいいもの。
もし必要となれば、また作ればいいだけのもの。
特許や著作権などの権利関係についても同じ。
権利に厳しい人は、
「お金を払わずに利用するなんてけしからん!」
と言う人もいる。
そこにリスペクトは必要かもしれないけれど、
本来は多くの人に広がって喜んでもらえれば嬉しい事のはず。
なのにそこに権利を主張して、争いが生まれるのはとても矛盾しているように思える。
そこに所有の概念があるからこそ争う。
そうなってしまうのは、
何かを作るため、守るために苦しんで頑張ってきたから。
例えば、ある1人の開発者が30年がかりで人生を賭けて苦しんで
完成させた技術があったとしたら、
それをタダで使われたらきっとムカつくに違いない。
そういう私も昔、
「ありがとうの気持ちでうまくいんだから経営コンサルタントなんていらないんですよ。」
みたいな事を言われて、
「そんな簡単な訳ないだろう!」
とムカついていた事がある。
これは、既得権益を守ろうとするのと同じように、
そこに辿り着くまでに犠牲を払って手に入れたものを否定されたように思えたから。
結局のところ、
苦しんで頑張って手に入れたものだからこそイライラする。
逆にゆるく楽しく手に入れたものならイライラしない。
例えば、社員が夢を求めて独立したら、
本来は、子供が巣立っていくのと同じように、
寂しいけど喜ばしい事のはず。
そこに社長・上司がイライラしてしまうとしたら、
採用・教育に犠牲を払って苦しんできたから。
芸術だって、心から楽しんで作っている人なら、
その作品を作った時点で満足している。
たとえ無料でも広がって、
喜んでくれる人がいたら嬉しい。
お金だって、数百万円をゆるく楽しく簡単に稼げる人なら、
誰かの笑顔のために数百万円を使う事に躊躇しない。
人でも、モノでも、技術、しくみでも、
もし今、何かに所有の概念があるんだとしたら、
それは苦しんで頑張って手に入れてきた証拠。
先祖代々の土地や、会社、技術etc、
もし今、それを頑張って守って苦しんでいるのだとしたら、
楽しめていないのだとしたら、
それは昔から続いてきた呪いと言えるかもしれない。
苦しんで頑張っている人が増えれば増えるほど、
苦しみのシェアが広がる。
逆に、ゆるく楽しくうまくいっている人が増えれば増えるほど、
所有の概念が薄れ、幸せのシェアができるようになっていく。
誰もが創造できないような何かを開発してしまうような人は、
朝から晩まで何かを突き詰めてしまうような人。
周りから変人扱いされ、ある意味相当頭がイっちゃっている人。
そんな人が突然何かを発表しても
普通の人には信じてもらえない。
世界観が違いすぎてオカルトチックに見えるせいか、
頭の悪い人からバカにされる。
本物でも偽物扱いされる。
苦しんで何かを手に入れてきた人ほど
「巨人の星」みたいに、
苦しまなければうまくいかないと思い込んでいる。
楽しんでうまくいく方法を知らなくて、受け入れたくなくて、
ゆるく楽しくうまくいっている人に嫉妬して非難する。
変化を嫌い、独創的で優秀な人を妨害する。
大切な事は、
それでもゆるく楽しくうまくいっている人を増やす事。
ゆるく楽しくうまくいくことを当たり前にする事。
そうなれば、
批判する人でも受け入れられるようになる。
許せるようになる。
そうやって所有の概念が薄まっていく事で、
本当に素晴らしいものを
素晴らしいと素直に認めて応援できるようになる。
エゴが減って、
加速度的に素晴らしいものが広まっていくようになる。
人が自分の心に正直に、
良いものは良い、悪いものは悪いと言える社会へ。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと言える社会へ。
人類が次のステージに行くために、
所有の概念を乗り越えられるかどうかが
問われているような気がする。