「私が乗り越えた(身に付けた)経験をみんなに役立てて欲しい!」

「私と同じ失敗をさせないために、多くの人に予防策を伝えたい!」

など困っている人の役に立ちたい利他の精神で

ステキな活動している人はとても多い。

 

しかし、

誰かの役に立とうと頑張っているのに、

わかってもらえなくて、

集客ができなくて、

役に立てている実感が湧かずに

モヤモヤした想いを抱えている人も多いはず。

 

例えば、

お金を稼ぎたいと言う人に、お金を稼ぐ方法教えてあげても、

「こんな事はできない!もっと簡単に稼げる方法ないの!?」

と文句を言われる事もある。

 

このままでは痛い目に合いそうな人に

回避する方法をアドバイスしても、

ドリームキラー扱いされる事もある。

 

集客・採用に困っている人に誰かを紹介しても、

「あんな人は紹介しないで!」

と逆に迷惑がられる事もある。

 

困っている人の役に立つために行動したのに、

それが裏目に出て役に立てない経験が積み重なると、

自信をなくして自分を見失ってしまいがち。

 

 

ホームレスでもスマホを持って、

情報のやり取りをする時代。

 

みんなが経済的に豊かになって、

「わかりやすく困っている人」

に対する支援はかなり行き届いている。

 

「困っているように見える人」

には身近に解決策を持っている人がたくさんいて

助けてもらいやすいために、

実は意外に困っていないというケースも多い。

 

 

そんな状況の中で、

あからさまに何かに困っていて、

本気で人生を変えたいと思っている人を探そうとしたって、

なかなか見つけられないのは当たり前。

 

何かに困って本気で行動するような人は、

もっと有名で実績のある先生のところに勉強・相談にいって、

もうすでに改善している。

 

自分が有名で実績のある先生に学んで

乗り越えたのと同じような事をやろうとしたところで、

もうすでに人気のある人と同じような事を広めようとしたところで、

結局それは二番煎じの劣化コピー。

 

その想いは素晴らしいかもしれないけれど、

誰かの役に立ちたい想いは満たされにくい。

 

 

そこで、

誰かの役に立ちたいと思っている人が

やった方がいいと思うのは、

「困っていなさそうなのに困っている人」

に対する支援。

 

もっと言えば、

どこかにいる誰かに対してどうこうしようとするのではなく、

身近な目の前の人に寄り添って、

喜んでもらうための支援をする事。

 

 

誰がどう見ても困っている人よりも、

困っていないように見える人の悩みの方が実は深刻。

 

例えば、

「成功できなくて困っている人」

は成功に向かって突き進めばいいだけだから解決策はシンプル。

 

それに比べて、

「成功しているのに困っている人」

の方が解決は難しい。

 

それはつまり、

成功したら心が満たされると思っていたのに、

成功しても意外に心が満たされていない人。

 

頑張ってこなかった訳じゃないから、

行動していない人と一緒にされるのを嫌がる。

 

それなりにわかっているから、

わかっていない扱いされるとプライドが傷つく。

 

それでもまわりからは、

成功者扱いされるから、

なおさら裸の王様っぽくなっていく。

 

理想を叶えたはずなのに、

それでも満たされない心を癒すために、

具体的に何をしたらいいかわからない。

 

誰にどう相談していいかもわからない。

 

勇気を出して、身近な人に精一杯伝えても、

「お前みたいに幸せなヤツはいいよな〜」

と困っている事を信じてもらえない。

 

お酒を飲むと、

「うまくいきすぎて楽しくない」

「何もなかった頃に戻りたい」

「全部捨ててゼロからスタートしたい」

などと別次元のように聞こえる話をするから、

意味がわかってもらえない。

 

すべてをさらけ出しても、

ポカーンとされたり、

「なにそれ?嫌味?」

などと言われるのにウンザリして何も言えなくなる。

 

・モテすぎて困っている人

・友達が多いはずなのに孤独を感じている人

・満たされすぎて欲しいものを見失ってしまった人

・成功しても幸せになれる訳ではないとわかってしまった人

なども似たような悩みを抱えている。

 

困っていなさそうに見える身近な人が、

実は心の内を相談できずに困っている事は意外に多い。

 

 

そんな人達が求めているのが、

対等に話を聞いてくれる人。

何を言っても受け入れてくれる人。

秘密を守ってくれる人。

 

役職や立場を超えて同じ人間として

寄り添ってくれる人に出会えると癒される。

 

人は1人1人違うはずなのに、

みんなそれぞれ違う悩みを持っているはずなのに、

自分の経験をベースにした色眼鏡で見て、

「この人は何も困っていない人」

「支援を必要としていない人」

と決めつけてしまっているケースは多いような気がする。

 

 

満たされているはずなのに

満たされていないように感じる心はとてもやっかい。

 

そんな「ある」のに「ない」と感じてしまう心は、

同じような相手を癒す事でも解消される。

 

今、身近にいる相手・出会う相手は

だいたい自分の鏡のような存在。

 

誰かの役に立ちたいけれど、

役に立てないと悩んでいる人は、

同じように悩んでいる人に出会う。

 

色眼鏡で見る事を一旦脇において、

相手に寄り添う事で、

自分にも応用できるようになる。

 

自分をわかってもらえていないと悩んでいる人は、

同じように、わかってもらえていなくて困っている相手を理解しようとする事で、

わかってもらえない寂しさの昇華の仕方がわかるようになる。

 

認めてもらえているのに認めてもらえないと悩んでいる人は、

同じように困っている相手を癒すプロセスで、

認めてもらえないと認識してしまう心の昇華の仕方がわかるようになる。

 

「こんな事で悩んでいるなんて」

と思うかもしれないけれど、

実は自分もそれと似たような悩みを抱えていたりする。

 

目の前の人に対して向き合う事で、

いつの間にか自分の悩みも解消されて

一緒に前に進んでいけるものなのかもしれない。

 

 

 

わかってもらえない寂しさは、

新しいチャレンジにはつきもの。

 

自分にしかできない事をやろうとすればするほど、

画期的な事になるので、

最初は多くの人に理解されないのは当たり前。

 

でもそれは、

理想に近づくために必ず通る大切なプロセス。

 

「出会いたい人に出会えないからできない」

「みんなにわかってもらえないから役に立てない」

と嘆くよりも、

もうすでに出会っている目の前の人達の役に立つ事を考えて行動する事。

心から喜んでもらえる事が何か考えて実践する事。

 

今出会っている目の前の相手に取り組んだ事が、

いつの間にか他にも求められるようになり、

時代が追い付いてくるかのように多くの人に支持されて、

またさらに多くの人に強い影響を与えられるように広がっていくもの。

 

 

「困っている人の役に立ちたい」

と思う事はとても素晴らしいけれど、

役に立つ対象を「困っている人」に限定する事にこだわらなくてもいい。

 

「困っている人」をなかなか探せないのなら、

「困っていないように見える人」の役に立てばいい。

 

「わかりやすく困っているように見える人」

を助けている訳じゃないから、

高揚感・達成感は得られにくいかもしれないけれど、

巡り巡ってそれがとても素晴らしい影響を与えている事もある。

 

 

最初は小さな事だと思うかもしれない。

みんなにわかってもらえていないと思うかもしれない。

 

でも実はそれもうまくいっている証拠で、

とても素晴らしい事なのかもしれないです。