お金がない、いい出会いがない、時間がない etc
自分でも、小さな事で悩んでは、
アドバイスを求めようとするけれど、
それはたいていうまくいかない。
なぜなら、
何をしたらいいか具体的な方法を聞いても、
たいていその方法はできない or やらないから。
何かができなくて悩んでいると言う人の話を聞くと、
やり方がわからないと勝手に思うのは、
情報が少なかった昔の発想。
やり方はわかっているけどできない
という方が今は多いような気がする。
相談して、
せっかくアドバイスをもらったのに
申し訳ない気持ちになって、
できない自分に余計に落ち込む事に繋がりがち。
自分のケースでも、
方法論のアドバイスで
悩みが解消される事はあまりない。
人からアドバイスを求められるケースでも、
具体的な方法論のアドバイスをしない時の方が
自然な感じでうまく進みがち。
スマホでやり方は簡単に調べられるようになったからこそ、
方法論よりも感情的な心の整理の方が
重要になってきているのかもしれない。
きっとすべての悩み事は幻想。
何かで悩みを抱えている人のほとんどは、
その事自体では悩んでいない。
例えばお金がないという悩み。
悩んでいる人がもし本当にお金がない人だとしたら、
お金がないのが当たり前なので
お金がない事で悩まない。
「3000円しかない」
のではなくて、
「3000円もある!」
とある方に目が向くので、
持っているお金が少なくても
お金がないとは言わない。
サラ金で200万円借りている人が、
「あと200万円借りれるから大丈夫」
とマイナスなのにお金があると言う人もいる。
もし本当にお金が必要で悩んでいるのだとしたら、
お金を作るために動いているはずなので、
「どうやって銀行交渉をしたらいいか詳しい人知らない?」
「当たれる人をどうやって探したらいいかアドバイスが欲しい」
「1ヶ月で30万円稼げる仕事あったら紹介して」
「こうやって稼ごうと思ってるけど、もっといい方法あるかな?」
など、もっと具体的な行動についての相談になるはず。
どんな悩み事でも、
もし本当に何かでヤバい状況にあるのだとしたら、
悩んでいる暇を惜しんで行動しているはず。
動いていれば悩まない。
悩んでいる時は行動が止まっている時。
そう思うと、
何かに悩んでいると言う人は、
行動しなくてもいいだけの余裕がある人。
少なくとも今、
その何かを多少なりとも持っている人。
それでも悩んでいるというのは、
何かモヤモヤを抱えていて、
踏ん切りが付かなくて
動けなくて困っているという事。
そんな人に、
具体的なやり方のアドバイスをしたところで、
結局、踏ん切りが付かないままになるだけ。
本人もわかっていないケースは多いけれど、
悩んでいる人が求めているのはきっとモヤモヤの解消。
具体的に何をしたらいいかも必要かもしれないけれど、
それよりも、
「あなたがやろうとしてる事は素晴らしい」
「あなたなら大丈夫だから」
など行動できる状態を作るための
心の整理・癒やしの方が大事なような気がする。
よくよく考えると、
悩みを抱えられる人は
ある意味とても恵まれた状況にある人。
相談する側の方が、
相談を受ける側よりもうまくいっているケースも多い。
それを知るとイライラするかもしれない。
例えば、
将来が不安と言うけれど、
目の前の事に必死な人は
将来の事を考える余裕がないから
将来を不安に感じられない。
どうなるかわからない
将来の事を考えられるほど、
今に余裕がある人だけが
将来の不安を感じる事ができる。
将来の事なんて考える余裕がないからこそ不安がないと言う人が、
今が余裕だからこそ10年後が不安と言う人にアドバイスしようとするのは
客観的に見るとシュールで笑える。
また、
「いい人がいない」と言える人は、
いい人かどうかで相手を選べるほど、
候補者がたくさんいる人。
結婚相手でも、採用でも、
応募・リクエストがないと、
そんな悩みを持つことさえできない。
たくさんの中から選べるモテる人が、
簡単に選べてしまったモテない人に
アドバイスを求めようとするのもシュールで笑える。
お金がない・時間がないと言うのも、
お金・時間を注ぎ込める充実した何かを持っている人。
「子育てにお金が掛かって大変だ」
という言葉は、
不妊症で子供ができなくて悩んでいる人が聞いたら
贅沢な悩みと思うかもしれない。
悩んでいる人に
ここぞとばかりにアドバイスをしようとするのは
恥ずかしい事にもなり得る。
悩むのは理想があるから。
何かにチャレンジしようとしている証拠。
逆に誇らしい事。
そんなやったらいい事はわかっていても、
心が付いていかなくてできない悩みは
一緒に遊んで笑ったり、
バカ話で盛り上がったり、
本人が思っていたやり方とは違う方法で
いつの間にか解消されているようなもの。
相談をするとか、相談を受けるとか、
特に堅苦しくやらなくても、
昔はきっと家族団欒やお酒を一緒に飲んだりして
自然な感じで解消できていたもの。
普段の生活の中に取り入れて、
しくみとしてうまく続けていきたいです。