選挙に行く事で

社会が変わると言う人がいるけれど、

何万分の1票の価値は

なかなか実感しにくい。

 

でも普段の生活において、

自分の選択1つ1つが

自分にも周りにも

少なからず影響を与えているのは

強く実感できるようになった。

 

 

例えば組織において、

革新派 or 保守派

どちら側に付くか?

 

10人の会社だったら、

自分の存在は10分の1。

 

「新しい事やろうよ!」

という誰かの意見に対して

賛成か?反対か?中立か?代替案を出すのか?

どんな態度をどのくらいのエネルギーで示すかで、

組織の方針・雰囲気に影響を与える。

 

立場のある上司の意見が強いかと思いきや、

たった1人のパート事務員さんの言動がキッカケで、

会社の方針・雰囲気がガラリと変わる事だってある。

 

 

家庭でも同じ。

親子喧嘩に巻き込まれた時、

旦那・奥さん側 or 子供側どちら強く寄り添うか

それとも中立的に立ち振る舞うかで、

家庭の雰囲気が変わる。

 

選択によっては、

「あなたはいつもそうなんだから!」

と巻き添えを食らって怒られて、

離婚危機まで発展する事もあるかもしれない。

 

 

選挙のように、

投票という改まった場や、

1票という数字ではない分

わかりにくいかもしれないけれど、

私達は何気ない生活の中で、

毎日何度も何度も選択を迫られている。

 

遊びに誘われて行くか?行かないか?

一緒に行く人を誘うか?誘わないか?

気になる事を指摘するか?指摘しないか?

気になったものを買うか?買わないか?

 

自分のその選択1つ1つが

今の自分や周りの環境を作っている。

 

 

運が悪いと嘆きたくなる時はたいてい、

周りに敵を作るような受け取り下手な選択の結果。

 

「なんで私ばっかり!」と怒っては、

手伝ってくれる人を遠ざける。

 

逆に「私は運がいい」と言えるのは

たいてい受け取り上手な人。

 

意識してやっているのかどうかはわからないけれど、

嬉しい気持ち・感謝の気持ちを

言葉や態度できちんと伝えられているように見える。

 

そして、「私は運がいい」と言える幸せな人の周りには、

幸せな人の影響を受けた幸せな人が集まって、

さらに楽しい雰囲気を広げていく。

 

 

 

そう思うと、

何かをより良くする事ために、

「もっと素晴らしい日本にしたい」

「会社の雰囲気を変えたい」

などと言って頑張るのも素晴らしい事だとは思うけど、

それ以上に大事だと思うのが

自分が今を幸せに生きる事。

 

自分が今を幸せに生きる事は、

この人生は楽しいという認識に

1票入れているような行為。

 

つまらないと思っていた遊びも、

やりたくないと避けていた仕事も、

何気ない当たり前の日常も、

その素晴らしさを知っている人が体現すれば

楽しいものに変わっていく。

 

そしてその振る舞いは幸せのシェアを促す。

 

同僚に「私もあんな仕事がしたい」と仕事の楽しみ方を背中で伝えられるかもしれない。

子供に「早く大人になりたい」と希望を与えられるかもしれない。

独身の人に「私もあんな家庭が作りたい」と結婚の素晴らしさを伝えられるかもしれない。

 

「少子化対策のために子供を産みましょう!」

と言われたって心は動かないけれど、

子供がいて幸せそうな友達を見ると、

子供が欲しくなったり、子供と一緒にいたくなる。

 

「なんでお前は挨拶をしないんだ!」

と怒られて嫌々やってもストレスにしかならないけれど、

ニコニコ嬉しそうに挨拶する雰囲気が、

また、あんな人になりたいと思わせる人の存在が、

自発的に挨拶をしたくなる雰囲気を作っていく。

 

結果として毎日が楽しい雰囲気に変わっていく。

 

 

特に、ピュアな子供は、

楽しそうな人、幸せそうな人をすぐに見分ける。

 

大人が辛そうにしていれば、

「あんな大変そうな大人にはなりたくない」

「大人になったら苦しまなければならないんだ」

と未来に希望を持ちにくくなる。

 

逆に大人が楽しそうに見えていれば、

「早くあんな大人になりたい」

と年を取る事が楽しみになる。

 

景気だって、

明確なラインがある訳ではなくて、

今が好景気だと思っていれば好景気で、

今が不景気だと思っていれば不景気。

 

そんな一人一人が集まって「みんな」になって、

それが社会や組織を作っているのだから、

自分の言動によって社会や組織は変わる。

 

そこまで大げさではなかったとしても、

きっと自分が見える範囲にいる人が

自分にとっての「みんな」。

 

この社会を素晴らしく思えるかどうかは、

結局は、政策や環境の内容以上に、

自分も含めた身近にいる人が今を幸せに生きているか?

そのエネルギーの強さで決まるんだと思う。

 

 

「この社会は間違っている!」

と言って社会を変えようとする人はいるけれど、

大切なのはその人が今を幸せに生きられているかどうか?

 

「こんな社会は不幸だ!」

と言っているその人の顔が引きつって、

楽しそうでなかったとしたら、

カッコ良く見えなかったとしたら、

やっている事は素晴らしかったとしても、

自分のコンプレックスを巻き散らしているだけかもしれない。

 

 

 

どんなに不遇な環境であったとしても、

「こんなに素晴らしい国に生まれてありがたい」

「こんなに素晴らしい会社で働けてありがたい」

「こんなに素晴らしい家庭に生まれてありがたい」

などと思っている人は幸福感に溢れている。

 

客観的な豊かさと主観的な幸福感が、

一致するとは限らないから

惑わされるかもしれないけれど、

結局は自分のとらえ方次第。

 

自分の偏見でジャッジしてしまうからわからなくなるだけで、

きっとどんな環境でも幸せは味わえる。

 

無邪気な子供の笑顔や、

犬や猫のちょっとしたかわいいしぐさが

周りの人達を和ませるように、

何も社会貢献していないように見える人がいたとしても、

今を幸せに生きているだけで社会貢献になっている。

 

そうやって、

頑張らない時の自分も価値があると受け入れる事ができれば、

もっと自然体で毎日を楽しみやすくなるはず。

 

 

人それぞれにある

自分の知らない幸福感や意外な役立ち方。

 

それらを引き出して学んでいくプロセスの中で、

楽しみ方のレパートリーを増やしていきたいです。