考えすぎってよく言われる。
誰かの悪気のない何気ない一言に、
必要以上の痛みを感じる。
明るい未来を考えているはずが、
いつのまにか暗い未来まで
考えてしまって不安になる。
俯瞰的に見る癖が邪魔をして、
物事を純粋に楽しめない事が多い。
アホになれる人が羨ましくて仕方がない。
全力で今を生きている息子を尊敬する。
考えすぎない方がいいなんて、
痛いほどわかっている。
それでも考えすぎてしまうからこそ悩む。
わかっていてもできない悩みを持っているのは
きっと誰しも同じはず。
・結果はすべて自分の責任。
・うまくいかないのは努力が足りないから。
・社員や家族とのコミュニケーション不足。
・プライドを捨てられれば丸く収まる。
・つべこべ言わずとにかくやればいい。
言われなくてもわかっている当たり前の話。
理屈ではわかっているのに動けないからこそ悩む。
そのモヤモヤをなんとか前向きに改善したくて、
人に相談するけれど、
言われなくてもわかる教科書的なアドバイスをされて
余計にガッカリする。
気持ちをわかってもらえない寂しさ。
傷口に塩を塗られたような気持ちになる。
みんなアドバイスなんて求めてなくて、
「私も同じだから大丈夫!」
と共感して欲しいだけなのかもしれない。
「俺も昔そうだった。その気持ちめっちゃわかる!」
と同じような悩みを抱えた事のある人に、
なんとも言えない気持ちをわかって欲しいだけなのかもしれない。
頑張ってきた自分を、頑張っている自分を、
そして、頑張ろうとしている自分を認めてもらいたい。
そこが満たされて初めて、
次に進む事ができるのではないだろうか。
自分を認めてもらえていない段階では、
どんなアドバイスも心に響かない。
逆に、現実的な解決策を与えられてしまうと、
できなくて悩んできた自分を
否定されるような気持ちになるから、
いいアドバイスほど受け入れられない事が多い。
どれだけ本を読んでも、セミナーに出ても、
行動が変わらない人がいるのも同じ理由。
「認めて欲しい」
そんなシンプルな望みもなかなか叶わない。
心の余裕がなくて、みんなそこまで気が回らない。
相手の言葉の裏側にある想いを察する事ができない。
相談されると、
アドバイスを求められているような気がして、
解決策を与える事が気持ち良くて、
相手の気持ちをわかろうとする事をサボってしまう人が多い。
だから、相談すればするほど、
同じように悩んだ経験がないように見える人から、
上から目線にも聞こえる空虚な言葉を
投げつけられているかのように感じてしまう。
仲間としてそばにいて欲しいのに、
相手がまるで外部の人としての立ち位置にいるかのような気持ち悪さ。
チャレンジしているからこそ悩んでいるのに、
可哀想って思われているようで惨めになる。
「お前に何がわかるんだ!」
と感じてしまい余計に寂しくなる。
認められたいだけなのに、
アドバイスされればされるほど、
過去の自分・できない自分を否定され、
余計に認められなくなってしまうジレンマ。
結局、それが嫌で、相談もできず、
殻に閉じこもっている人が多い。
ありのままの自分を否定されるのが怖くて、
自分でも気が付かないまま”デキる自分”を取り繕って、
「悩み事なんてありません」と嘘を付く。虚勢を張る。
しかしそれさえも、
人間の成長意欲は抑えきれなくて、
なかなかうまくいかない。
自分より下に見える人と比較して、
今、成功していて幸せだと思い込もうとするけれど、
本当は何かが違うとわかってしまう。
自分の本音が何となくわかるようになると、
人が本音で話をしていない事もわかるようになってくる。
余計に気持ち悪く感じる上辺の会話。
人間、綺麗事ばかりじゃない。
みんな本音を隠して強がっているだけで色々ある。
それでも人は本音を隠す。
わかってもらえない恐怖が邪魔をする。
本音が言えなくて窮屈で、
認めて欲しくて強がって、
みんなただ寂しがっているだけかのように見える。
モノが満たされているからこそ、
次はもっと心を満たしたくてもがいている。
目には見えにくい大きな社会問題。
ありのままの自分をさらけ出しても、
大きな愛で100%肯定的に受け止めてもらえる安全地帯。
本音と向き合う苦しみを和らげる事ができるしくみ。
きっと今、必要とされている。
そしてそこに、私が目指している
「優しい会社が報われるしくみづくり」の
ヒントがあるような気がする。
具体的なカタチ作りにチャレンジしていきます。