社員・お客様にもっと喜んで欲しくて変化を促す社長と、
「社長は現場の事をわかっていない」と非難する社員。
そしてその間に挟まれて、苦しい想いをする管理職。
経営コンサルタントとして13年間、
ずっと社長・社員と関わってきて、
どちらの気持ちもそれなりに理解できるようになった。
愚痴を言い合ったり、
いがみあったりしているけれど、
ただお互いがお互いの立場を知らないだけ。
どちらも悪くない。
人間関係の問題は
大抵がお互いの理解不足が原因で起きている。
それは家族でも、友人でも、どんな組織でも一緒。
お互いが、
「自分は被害者で相手が加害者」
と思いたがるけれど、
実際はどちらも被害者であって加害者の関係。
人は何の動機もなく攻撃しない。
受け取る側の勘違い(解釈の違い)か、
相手がそうせざるを得ない状況があるからやっているだけ。
そして人は自分のためだけにはなかなか争えない。
争う動機は「誰かのため」。
誰かを大切に思う気持ちがあるからこそ争う。
組織を、社員を、家族を、
大切に思うからこそ、
その相手とさえ争う事もある。
勝ったとしても勝者になれない無益な争い。
お互いを知っている立場の人からすると、
とても切ない気持ちになってしまう。
なんとかしたいと試行錯誤して悩んできたけれど、
争いを否定し無益だと思っていた事自体が違うと
最近思うようになった。
誰かを嫌ったり、誰かと争ったりするのも、
結局、その必要があるから起こっている事。
それを否定し、無くそうとすると、
別のところに歪みが出るだけ。
余計にお互いのストレスが増えてしまう。
それは、苦手なものを、
必要以上に気にして戦おうとすることで
余計に意識をしてしまって苦しむ事に似ている。
たとえゴキブリを見かけても、怖がる訳でもなく、
楽しそうに追いかける息子を見るとなおさらそう思う。
そこに苦手と思えるものが存在しまっている以上、
戦ったって根本的な解決にはならない。
誰かを嫌ったり、争ったりする事を
完全に根絶させることのできない以上、
ありのまま受け入れる事が根本的な解決に繋がる。
人を嫌いになる事は、
ある意味心の防衛反応。
相容れない人の事を考えすぎて頭がおかしくなるよりも、
「この人は嫌い」の一言で
余計な事を考えなくても済むようになる。
会社や上司のせいにするのもいい。
社会や環境のせいにするのもいい。
それで心が救われるのなら素晴らしい事。
また、誰かを嫌いになる事によって、
その人がやりがいを手に入れて、
幸せになれるのなら、
それはそれで素晴らしい事。
人は一人一人違うからこそ面白い。
嫌ったり、争ったりする事も、
見方によっては、
暇つぶしの人生の中に必要な、
スパイスみたいなものと言えるかもしれない。
人生の楽しみ方。
それはきっと、人生は楽しいものだと心から信じる事。
そうすれば楽しい出来事ばかりが目に入ってくるようになる。
自分がより幸せを感じるためには、
自分のまわりの人達が幸せかに影響されると思えるけれど、
実際は、自分のまわりの人達が
本当に幸せかなんてわからない事。
本人でもわかっていない・気が付いていない事もあるほどの事。
だからこそ、
「目の前の人をどう生きていると捉えるか?」
という自分の解釈次第。
嫌い合ったり、争ったりしている人を、
不幸な人だと捉えるから心がザワつくだけ。
イライラしている人でも、
理解できないと思える人でも、
どんな人であったとしても
幸せに生きているんだと思えれば、
自分はもっと幸せになれる。
人を嫌いになる事も、争いも、
ずっと昔から存在し続けてきたという事は、
そこに何らかの意味・価値があるという事。
誰かを嫌いになれている幸せ。
争う事ができている幸せ。
誰かに嫌われる事ができる幸せ。
それを見出す事ができたなら、
見える世界がもっと平和で優しいものになる。
そう思います。