頑張ってもうまくいかない時はきっと誰にでもある。
そんな時はたいてい、
頑張り方or頑張る方向性がズレている事が多い。
とはいえ、何かに本気でのめり込んで、
苦しんで頑張ってきた事であればあるほど、
そのズレをなかなか認められない。
例えば営業の仕事。
500人に声掛けしても反応が悪く、
まともに売れそうになかったとしたら、
声を掛けるターゲットや、声掛けの方法を疑ってもいい。
そもそも、その商品・サービスの価値を疑ってもいい。
それを、自分の行動量が足りないからと自分を責めて
「今度は1000人に声掛けしてみよう」
と苦しんで頑張るのは結果に繋がりにくい努力。
「昔、俺の場合はうまくいったんだから、うまくいかない訳がない!」
「努力・根性が足りない!」
と部下を叱って強要しようとする上司はきっと何かがズレている。
資金繰りに苦しむ社長も同じ。
お金がないからと、
本気でお金をかき集めるための行動を取ったのに、
お金が集まる目処が立たないとしたら、
それで苦しんでいるとしたら、
きっと何かがズレている。
もしかしたら、お金がない事が一番の課題ではないかもしれない。
声を掛けるターゲットや、声を掛ける方法が的外れなのかもしれない。
本当に自分のやっている事業に想いがあれば、自信があれば、
お金を集める事だってノリノリでできる。
お金を借りたり、出資してもらったりする事に一点の迷いもなく、
強いエネルギーで行動できる。
自然な感じで声掛けができていれば、
断られても苦しまないし、逆に、
「この事業の魅力が理解できないなんて残念な人だなぁ」
と前向きな気持ちでいられる。
本当にやりたい事は、
努力を努力と思わないくらい、
楽しく自然な感じで続けられるようにできているはず。
素直になれずに、意固地になって、
一度決めた事はやり続けなければいけないと決め付けると
本来の目的を見失って苦しくなる。
集客さえできれば・・・
商品さえ売れれば・・・
採用さえできれば・・・
お金さえあれば・・・ etc。
その結果が出なくて追い詰められると、
ドンドン視野が狭くなって苦しむ。
お金に困っていると言う人は、
本当はお金以外の別の何かが課題かもしれない。
人材に困っていると言う人は、
本当は人材以外の別の何かが課題かもしれない。
何かの問題の苦しみから抜けられない時は、
その問題が自分にとって本当に問題なのかどうかから疑った方がいい。
思えば私も、
お金に苦しんでいた時、
一番救いになったのは、
お金を集める方法ではなく、
お金の問題ではない事を気が付かせてくれたアドバイス。
人間関係で苦しんでいた時、
一番救いになったのは、
苦手な相手と仲良くなる方法ではなく、
苦手な相手と仲良くなる必要がない事を気が付かせてくれたアドバイス。
借金する事も、
自己破産する事も、
組織を辞める事も、
人が離れていく事も、
会社が倒産する事も、
もしかしたら意外に大した事ではないかもしれない。
失敗したくないと言う人はよくいるけれど、
過去を振り返ると、失敗した時の方が成長しているはず。
必死だった当時が、今なら笑い話になっているはず。
何事もなく過ごしたいと言う人はよくいるけれど、
何事もない人生よりも、
山あり谷ありでいろんな事がある人生だってきっと楽しいはず。
少なくとも私は、
平坦な道を歩んできたような人の話よりも、
チャレンジして失敗する事を繰り返してきた人の話の方が、
人間味があってずっと興味深い。
今苦しんでいて、
幸せを感じられていない人がいたとしたら、
それはたいてい失った過去の何かに囚われている証拠。
よくわからない将来の不安に囚われている証拠。
苦しみは執着に気が付かせてくれる大切なサイン。
そこに対する執着を外してはどうかと教えてくれる。
お金がないと言う人が今、手にしているものは、
実はお金がある人が数億円出してでも、欲しがっているものかもしれない。
時間がないと言う人が今、経験している事は、
実は時間がある人が、何百時間かけてでも、欲しがっている経験かもしれない。
実際、「ありがとう」というたった一言のために、
数億円・何百時間突っ込む人だっている。
苦難を味わいたくて、
あえてすべてを捨てて苦難に飛び込む人だっている。
今何が大切かは人それぞれではあるけれど、
今あるものに目を向けるか、
今ないものに目を向けるかで、
幸せかどうかはハッキリ分かれる。
「ない」と言う人ほど実は持っていて、
「ある」と言う人ほど実は持っていないなんてよくある事。
今のままでも十分に素晴らしい。
過去も今も悪くない。
変わるという事は過去を否定するのではなく、
もっと良くなるために過去を活かしてアップデートさせるという事。
今あるものの価値に気が付ける自分でありたいです。