「日本人の健康が危ない」

「日本の将来は真っ暗だ」etc

人を脅して暗い気持ちにさせるニュースは今もなお多い。

 

テレビでも、SNSでも、

鬼の首を取ったかのように、

暗いニュースを拡散させたがる人がいる。

 

「こんなにも苦しんでいる人達がいる事をあなたにも知って欲しい」

と何かを伝えられたって、

「はぁ・・・」

となってしまう事が多い。

 

「で、それで私にどうして欲しいの?」

と聞いたところで、

解決策についての話がないまま、

「とにかくもっと伝えたいの!」

「そのためにお金・人が足りないの!」

などと言われて協力を募られると、

怪しい宗教のように思える時もある。

 

気持ちが悪くて、課題に対して、

「もっとこうしてみたら?」

と解決策について話し合おうとすると、

「そんなに簡単じゃない!」

と怒られる。

 

お金と時間を使って、

ただ暗いニュースを聞かされるだけの講演会や会議に

いったいどんな価値があるんだろう?

 

 

課題解決させたいならば、

明るい解決策について協力を募る方が効果的。

 

「僕たちの力でこの課題を解決させられると思うと、もうワクワクが止まらないんです!」

などと周りを明るい気持ちにさせて

「一緒にこの課題を解決していきませんか?」

と仲間を増やしていった方が前向きで楽しい。

 

やっている人たちが楽しそうであればあるほど、

自然に多くの人を巻き込む事ができる。

 

幸せのシェアになって、仲間が増えて、

より大きな事を成し遂げられるようになっていく。

 

逆に自分が苦しんで頑張っている時ほどうまくいきにくい。

 

苦しみのシェアに繋がって、

人が離れていく事になりがち。

 

暗いニュースであったとしても、

それを伝える本来の目的は、

現状をより良くするためのはず。

 

日本の将来に対する暗いニュースを聞いて、

「日本の将来に対する希望が持てなくなりました。大きくなったら外国に住もうと思います。」

と言う子供もいる。

 

「みんなにもこの惨状を知って欲しい」

と伝えたくなる気持ちもわかるけれど、

それは逆効果ではないだろうか?

 

「あなたも真実を知るべきだ!」

とエグい惨殺の動画を見せて

人の気分を害す事に似ているかもしれない。

 

 

とはいえ、

意味がないように思える暗いニュースの拡散が、

それでも存在し続けるという事は

なんらかの価値があるに違いない。

 

よく考えてみると、

暗いニュースの拡散が社会や会社を動かすケースもある。

 

過激なデモやストライキなどがそう。

 

それはある意味、

「改善策は考えられないけれど、私はとにかく怒っている」

という意思表示。

 

これはこれで意外に強い。

 

子供が

「とにかくもっと遊びたいの!」

と親にダダをこねる姿に似ているかもしれない。

 

誰彼構わず怒りを巻き散らす人は鬱陶しい。

 

面倒くさくなって、

周りの人が無視しきれなくなって、

対応せざるを得なくなるケースもある。

 

「解決策もない暗いニュースを伝えても、暗い気持ちにさせるだけ」

と思っていたけれど、

発信者とそれに巻き込まれた人が、

「無視できないくらいヤバい人達」

というところまで昇華させる事ができたなら、

社会的なムーブメントになり得る。

 

そこまで辿り着けば、

忙しい人達も時間をとって

一緒に解決策を考えてくれて課題解決に進む。

 

そういう意味では

暗いニュースの発信で人を煽るのも、

理にかなっているのかもしれない。

 

 

物事はプラスかマイナスに大きく振れる事で、

大きな変化に繋がる。

 

課題を解決するために、

解決策を考えて明るく楽しく改善するというのもあるけれど、

とにかく騒ぐというアプローチも確かにある。

 

怒りの感情で煽って、

とにかく騒ぎたい人達を集めれば、

社会を変える事に繋がる。

 

 

たとえ歪んだ感情から来るものであったとしても、

それで誰かと関われている事に喜びを見出している人もいる。

 

敵を作る事で自分の責任から目を逸らして

心を守っている人もいる。

 

楽しくはないかもしれないけれど、

暗いニュースを拡散させて怒っている人も、

社会・会社をより良くするためのアプローチが違うだけで、

ステキな想いを持っている人もいるかもしれない。

 

自分の事を棚に上げて、

会社の文句、同僚の愚痴、家庭の不満を言い続ける人がいたとしても、

あたたかい気持ちで受け入れられる自分でありたいです。