人それぞれが持っている
こだわりやプライド。
それを汚されそうになった時、
嫌な気持ちになる。
やりたくない事・納得できない事を
「とにかくやれ!」
と頭ごなしに命令・強要されると
嫌な気持ちになる。
そんな状況に陥った時、
第一に取ろうとする手段は逃げる事。
苦手な人を避けたり、
話を聞かなかった事にしたり。
会社でも、
お客様を嫌がらせるような行動を強要したり、
現場を疲弊させる無茶な目標を掲げる上司に対して、
部下は逃避行動を取る。
上司にできなかった報告をする事から逃げたり、
やったフリをしてできない理由を言ったり、
適当に「頑張ります」と言ってやらなかったりする。
あわよくばやらなくて済めばいいと
自然消滅を期待しているのかもしれない。
しかし上司もバカではない。
重要な事であるほど、
なかなかうまく逃げられない。
逃げても逃げても
「今どこまで進んでいる?」
「いつまでにできるんだ?」
などと追いかけられがち。
気持ちを受け入れてくれる優しい上司なら、
代替案を提示してくれるかもしれない。
しかしたいていは、
「やりたくない」
なんて言える雰囲気はなくて、
「もう決まった事だから」
「仕事だからやれ」
などと対話ができない事の方が多い。
心に余裕のある人なら、
業務内容や部署を変えてもらうよう別の人に相談したり、
それでもダメなら会社を辞めるという選択肢だって考えられる。
ポジティブな人なら、
やりたくない事・納得できない事をうまく昇華して、
どうやったら楽しくできるかを考える。
しかし、そうではない場合、
追い詰められて異常な行動を取ってしまいがち。
「上司の指示で」という理由だけで、
道義に反する事・自分が嫌がる事を
他人に対して簡単にできてしまう人もいる。
「本当は私も嫌なんだけど、上司にやれって言われたから」
「俺も苦しんでいるんだから、お前達も苦しめ」
などと嫌な事を嫌な事のまま広めてしまう人もいる。
特にマネジメントが苦手な中間管理職がよくやる苦しみのシェア。
・会社で嫌な事があると家族に当たる
・自分のせいで起きた事を他人のせいにする
・自分がうまくいかないからといって、他人の足まで引っ張る etc
いろんなところで広まっているように思える。
苦しみのシェアがなかなか収まらないのは、
広めている人が、自分自身を正義だと思っているから。
いい意味でも悪い意味でも悪気がない。
やりたくない事を強要する事も、
数字のために他人を傷付ける事も正しい事だと思っている。
もしくは、自分も被害者だから仕方がないと思っている。
情報という武器を持っている人なら、
最悪逃げ込める安全地帯がある人なら、
「どうにかなる」
とわかっているので、
一歩引いて考える事ができる。
しかし、心が弱い人、逃げ方を知らない人は
洗脳されているかのように自分の心を無視して、
ストレスを抱える事になる。
そんな苦しみのシェアを幸せのシェアに変えるには、
やりたくない事をやらされそうになった時、
それでも楽しむ方法を見出して人に伝えたらいい。
嫌と思った事を頼まれた時こそ、
「なぜ嫌と思ったんだろう?」
「どうしたら楽しい事に変えられるんだろう?」
と嫌な気持ちをうまく処理・昇華する事。
例えば、
「こんな商品は売りたくない」
と思っているまま人に勧めてしまえば苦しみのシェアになるけれど、
その中でもステキな部分を見つけて、
「こういう人にとってはいい商品だ」
と処理・昇華する事ができれば
自信を持って楽しく人に勧められるようになる。
またその内容を人に伝える時は、
相手が楽しめる内容に変換する事も大切。
心のスイッチは人それぞれ。
理屈が好きな人もいる。
数字でやる気になる人もいる。
大義名分を大切にする人もいる。
1人1人に合わせて伝える事ができれば、
苦しみのシェアは収まって、
幸せのシェアに変わっていくはず。
それがどうしてもできないなら、
話を合わせてうまく逃げて
苦しみのシェアを自分で食い止めた方がいい。
論語と算盤。両方が大切。
「どんな手段を使ってでも目標達成させる!」
「人を騙してでも会社・雇用を守る!」
という気持ちでやれば確かに短期的な成果は出るかもしれない。
でも、嫌な事を嫌な事のままやり続けては、
やる本人だけでなく、
まわりの人達にもストレスを撒き散らす。
もしそれで結果を出して大儲けしたって、
それはきっと成功ではないはず。
それはきっと幸せではないはず。
自分の中にある美学を大切に、
それでも相手とうまく調和させる事。
綺麗事の先にある幸せと結果を追求していきたいです。