歯を食いしばって頑張れる人はすごい。

 

目標を定めて頑張って、

うまくいかせられる人を心から尊敬する。

 

でも、自分の場合、

過去を振り返っても、

苦しんで頑張ってうまくいった記憶がない。

 

うまくいった時は、

「誰かのおかげで、気が付けば手に入っていた」

という状況。

 

昔から頑張り方が悪いと叱られては

何度も頑張ってはみた事はあったけれど、

欲しいものは一生懸命追いかけるほど逃げていく。

 

頑張ってやるほど

頑張らない人にイライラして、

孤立して寂しくなる。

 

そんな経験しかないから、

「頑張れば絶対勝てる」

「幸せになるためには努力しなければならない」

などとアドバイスする人がどうにも信用できない。

 

うまくいかない原因を

「本気じゃないからダメなんだ!」

と精神論・根性論で片付けて、

マウンティングを取ろうとする人も苦手。

 

頑張ってうまくいく人がいる事は認めるけれど、

頑張ろうとしても続かなくて、

うまくいかない人がいる事も信じている。

 

 

 

苦しんで頑張って幸せを味わった経験のある人が、

苦しんで頑張る方法をアドバイスしようとするのはまだわかる。

 

でも、

苦しんで頑張ったけどうまくいかなかった人が、

「お前には失敗して欲しくない」

というエゴで自分以上に苦しいやり方を

他人に強要しようとするのは、

ある意味気が狂っているように思える。

 

押してダメなら引いてみたらいいのに、

押す以外の方法を学ぼうとしないで、

苦しみのシェアをしようとする人に

惑わされている人は多いような気がする。

 

 

そんな気が狂っている人を

見分ける方法は意外に簡単。

 

「それって楽しいんですか?」

と質問するとわかりやすい。

 

うまくいった経験がある人は

頑張る事の楽しさ、

もしくはその先にある喜びをわかっているから、

嬉しそうに話したり、優しく諭したりする事ができる。

 

そもそも、

そんな疑問さえ思わせないくらい、

優しさ・楽しさに溢れている。

 

仕事も、勉強も、練習も、

その先にある喜びをわかっている人が教えると、

たとえ苦しくても楽しいものになる。

 

逆に、

うまくいった経験がない人は、

自分の頭で考えられていないから

疑問に思って質問すると、

「つべこべ言わずやれ」

と怒ってきたり、

「お前のそういう素直じゃないところがダメなんだ」

と否定しようとする。

 

仕事も、勉強も、練習も、

「やらなければならないもの」

として捉えているから楽しめなくなる。

 

やらせる事が仕事・役割になっている人は、

それでもやってもらわないと困るから押し付ける。

 

自分のやり方に自信もなく、

心の余裕がない割に保身に走って偉そうにする人達によって、

素晴らしいはずのものが、

歪んだ形で伝わっているケースは多いような気がする。

 

 

勝者の裏には敗者がいて、

たった1人しかいないトップの裏には、

数え切れないほどのトップになれなかった人達がいる。

 

少なくとも、

どちらかが必ず負ける勝負においては、

勝負で勝つための絶対法則なんてない。

 

「成功するまで続ければいい」

というのも嘘ではないけれど、

ある意味、熱湯風呂にどれだけ長く入っていられるかを競う

我慢比べみたいなもの。

 

「頑張る事が楽しい」

と認識できていればいいけれど、

「苦しまないとダメなんだ!」

と自己犠牲を押し付けようとする意味で言えば、

呪いを撒き散らす事にも繋がる。

 

「成功するまで続ければいい」

という言葉をカジノで使えば

「お前はバカか!」

と怒る人が多い割に、

苦しんで頑張って負け戦を続ける事を

美徳とする人が多いのは不思議でしかない。

 

 

とはいえ、

ある意味狂った先生に教わる事でうまくいく人もいる。

 

そう思うと、

頑張った方がうまくいく人と、

頑張らない方がうまくいく人がいるように思える。

 

頑張った方がうまくいく人は、

何かを成し遂げる強い動機がある人。

 

目的のために手段を選ばないほどの本気さがある人。

 

どれだけ周りに嫌われようが、

どれだけバカにされようが、

気にならない人ほど頑張る事に向いている。

 

そんな人と、

熱血でスパルタな先生がタッグを組めば、

とても素晴らしい結果に繋がる。

 

たとえ先生が

呪いを撒き散らすような人だったとしても、

やる方が本気だったらやり切って成果を出せるため、

お互いに感謝し合える。

 

でも逆に、何かのために

そこまで本気になれない人が

熱血でスパルタな先生に教わると大変。

 

苦しむほどに頑張ろうとしたところで、

「そこまでしてまでやりたくない」

という気持ちがブレーキになる。

 

必要以上に頑張る事は

好きな事が嫌いになったり、

楽しかった事が楽しくなくなったりすると

本能的にわかっているために、

熱血でスパルタな教えに反発する。

 

そんな人が、

無理に頑張ろうとしたところで、

中途半端な結果に終わる。

 

お互いに悪気がある訳じゃないのに、

教える方も教わる方も、

「なんでわかってくれないんだろう」

と悩み、お互いの自己否定に繋がる。

 

 

 

やり方は人それぞれのはずなのに、

すべて個性のはずなのに、

やり切る能力のある人が、

やり切る能力のない人をバカにする。

 

協調性がある人が、

協調性がない人を攻撃する。

 

頑張っている人が偉くて、

頑張っていない人はダメな人だと勘違いする。

 

でも現実はきっと、

頑張ってうまくいく人と

頑張らない方がうまくいく人がいるだけ。

 

頑張っていない人は、

本人は頑張っているつもりがなくても、

好きな事を楽しんで頑張っているケースも多い。

 

何かが苦手なら、

その分別の何かが得意だったりするのに、

自分の枠組みで相手をけなして

相手の自信を無くさせるのはもったいない。

 

 

 

社会の中で、組織の中で、

みんなに憧れられるヒーローになれる人はほんの一握り。

 

だからみんながヒーローを目指す必要なんてない。

みんなが勝者を目指す必要なんてない。

 

誰かに決められた評価、

既存の枠組みの中での優劣に惑わされず

自分の個性を伸ばしていく事が、

新しい時代の新しい土俵・評価軸・価値基準における

意外なヒーローを生むことに

繋がっていくような気がします。