仕事や育児、何かを必死に頑張っている人は多い。

 

その中には必死になり過ぎて、

社員のため、家族のため、会社のために、

自己犠牲を払い過ぎてしまっている人も多い。

 

とても美しくて、素晴らしい事かもしれないけれど、

「誰かのため」を意識し過ぎると報われなくなる。

 

 

社員の雇用を守らなければならない。

社員の給与を増やさなければならない。

社員が定年まで働ける会社にしなければならない。 etc

 

社員のためにと社長・管理職が苦悩している割に、

当の社員は意外にそれを冷めた目で見ている。

 

「何で俺たちがこんなに頑張らなければいけないんだ!」

「社長・上司は俺たちの苦労をわかっていない!」

と増える仕事・変化に対して反発する社員もいる。

 

 

家族も一緒。

 

子どもの将来のために、幸せのためにと、

いい教育環境で育て、いい学校に入れなければと必死になる。

 

家族のための教育資金・住宅ローンに自由をなくし

押し潰されつぶされそうになるサラリーマン。

家族のための家事・育児に押し潰されそうになる主婦。

 

叩いて怒鳴ってまで、嫌がる子どもを習い事に行かせる親もいる。

 

 

「してあげたい」までならいいけれど、

「してあげなければならない」までいってしまうと苦しい。

 

そこまで頑張らなくてもいいはずなのに、

引くに引けなくて、認めたくなくて、

自分を犠牲にしてまで頑張る事が正しいと

盲目的に信じようとしまう。

 

自分の本音・相手の本音と向き合う事から逃げた挙句、

自己犠牲を払ってまで頑張った分の

見返り・成果・結果を相手に期待してしまい、

「こんなにやってあげているのに!」

とさらにイライラする事になる。

 

頑張れば頑張るほど、

相手との心の距離が離れていく悪循環。

 

誰かに喜んでもらいたい。役に立ちたい。

行き過ぎた想いが空回りして、

余計なお世話を繰り返す”感謝の押し付け”。

 

今、まさに横行しているような気がする。

 

 

自己犠牲に苦しむ人は、

認めてもらえないモヤモヤをなんとかしたくて、

自分を正当化したくて、

無意識に、幸せに生きようとする人の足を引っ張る。

 

 

幸せに生きている人を自己中心的だと否定し、

「空気を読め!まわりの人に合わせろ!」

と責め立てるようなアドバイスをする人も多い。

 

子どもも産まないで、人生を楽しむなんてけしからん!

子どもを置いて、親が遊ぶなんてありえない!

社会人が仕事を休む・すぐに会社を辞めるなんて常識外れだ!

子どもの大学資金を親が出さないなんておかしい!

社長には社員の雇用を守る義務がある!

社長は血尿が出るくらい苦しんで仕事をするもんだ!

 

そうしないと、社員がかわいそう、家族がかわいそう・・・etc。

 

尊敬できない人の行動・考え方を見習っても

良くないなんて事はわかっているはず。

 

そんな不幸のタネをまともに受け入れてしまったら、

いったいどこまで頑張ればいいのか、

誰のための人生なのかわからなくなる。

 

 

誰にも迷惑をかけず生きていくなんてできないのに、

「人に迷惑をかけるなんてけしからん!」

と言われてそれを信じていては、

生きるだけで息苦しくなり、幸せになれなくなってしまう。

 

 

そもそも誰かのために生きる事は本当に美しくて、

素晴らしい事なのだろうか?

 

誰かのための行動で尊敬される人はいるけれど、

それはその人がただ、

「何かを変えたい!生み出したい!自分がいいと思う事をしたい!」

と自分の想いに正直に、自分の人生を幸せに生きた結果が、

誰かのためになったくらいの話ではないだろうか?

 

衣食住が足りなくて、

命の危険がそこら中にあった時代は

自己犠牲が必要とされていたかもしれない。

 

しかし、モノが溢れた今の時代は、

無理のない、頑張り過ぎない範囲での

”小さなおせっかい”できっと充分。

 

自分さえ良ければいいとはまた違って、

自分の幸せのために、まわりを幸せにするくらいの気軽な感じ。

 

まわりの人が笑顔でなければ、

自分も幸せを感じられないので、

心配しなくても「誰かのため」は自然にできる。

 

それくらいの気軽な感じなら、

「自己犠牲」に苦しむ事なく、

「余計なお世話」と感じさせる事もなく、

お互いに感謝し合えるような気がする。

 

 

自己犠牲の苦しみの呪縛から逃れるには、

自分の本音と向き合う事。

 

自己犠牲に苦しむ人に逆らってでも、嫌われてでも、

自分の人生を幸せに生きる勇気を持つ事。

 

そうやって、幸せに生きる人が増える事によって、

社会はもっと明るくて幸せなものに

変わっていくのではないでしょうか。