ありのままを認め合う。

相手や自分自身の表面的なところではなく、

存在自体を受け入れる。

 

多少はできていると思っていたけれど、

実は全然できていない事に気が付いた。

 

どんな性格だったとしても、

どんな外見だったとしても、

どんな厳しい状況にあったとしても、

それでも相手のそばにいられるか?

 

自分を信じる事ができるか?

 

極端な事を考えるとわかりやすい。

 

例えば、夫婦。

 

体重100キロ、見るに耐えない顔になり、

性格はひん曲がり、八つ当たりで暴力を受ける。

闇金融で多額の借金を抱えている事が判明し、

体も動かず要介護状態になったとしても、

それでも旦那・奥さんを愛する事ができるか?

 

こんな事を考えると、

自分の本当の想いが透けて見えてくる。

 

相手の何に惹かれてそばにいるのか?

なぜそばにいようと思えるのか?

綺麗事だけではない人間らしい部分が見えてくる。

 

仕事関係でもそう。

 

その相手が持つ、お金、知識、人脈、スキル、時間、性格 etc。

自分が相手の何に惹かれているのか、人間らしい部分が見えてくる。

 

さらに、またそれを逆に考えると、

自分の本当の価値が見えてくる。

 

もし自分がアルツハイマーになったら?

大きな借金を抱えたら?

 

それでも相手はそばにいてくれそうか?

だとしたら、相手は自分の何に惹かれているのか?

ありのままの自分は認められるような存在なのか?

 

色々、考えられるようになってくる。

 

「あなたの全部が好き!」

「あなたとずっと一緒にいたい!」

「あなたに一生付いていきたい!」

 

ドラマに出てくるような恋人が言うセリフ。

 

そんな事は一度も言われた事はないけれど、

そこで言われる「あなた」はきっと、

色々着飾った表面的な「あなた」。

相手が都合よく解釈した「あなた」。

 

ありのままの「あなた」ではないはず。

 

本当はありのままの自分を見て欲しいのに、

それが受け入れられず、

去っていってしまうのが怖くてさらけ出せない。

 

そうやって、自分を隠して

ストレスを抱えている人はきっと多い。

 

本当の自分の価値は、

弱くてだらしない、ありのままの自分でしかないはずなのに、

知らず知らずのうちに人は、

まわりのものに着飾られた自分に、

大きな価値があると勘違いするようになる。

 

優秀な子どもがいる自分、

社員に好かれている自分、

大きな会社に所属する自分、

高い役職にいる自分、

いい家に住む裕福な自分 etc、

 

ありのままの自分に自信を持てなくなって、

ありのまま自分にたまたま付随していただけのものを、

自分の価値だと勘違いする。

 

自分がコントロールできないものを、

無理に守ろうとしてしまって自分を見失う事になる。

 

ありのままの自分は、

本当はたいした事がないと自分が一番よくわかっている。

 

それを認めたくなくて、

自分の心に逆らうからおかしくなる。

 

自分の心に正直になれれば、

人が去っていっても当たり前だと思えるし、

逆にそれまで、そばにいてもらえた事に感謝できるようになる。

 

自分を過大評価しない事。

当たり前の基準を高くしない事。

 

カッコ付けず、背伸びせず、頑張りすぎず、

「自然体=謙虚」でいられる自分でありたいです。