本音を伝える事は、

自分らしく生きるためにとても大切。

 

実際、自分の心に正直な子供ほど、

自分の人生を楽しんでいるように思える。

 

そして、そんな子供達と付き合う

保育園の先生は

子供達を惹きつけるのがとても上手。

 

なぜなら、上手でなければ

子供達は話を聞かずに動き回ってしまうから。

 

それに比べて、

年配の偉い人の話が

長くてつまらない事が多いのは、

きっと下手でも周りの大人が

黙って聞いてくれたフリをしてくれるから。

 

好きなものを好きと言えるからこそ

好きなものに囲まれて生きる事ができる。

 

嫌いなものを嫌いと言えるからこそ、

嫌いなものを遠ざける事ができる。

 

それがわかっていながらも、

相手の反応を必要以上に気にしたり、

嫌われる事が怖かったりで、

建前を使って生きている人も結構いるはず。

 

 

よく考えると、

本音を伝えて嫌われる事に

言うほどデメリットはない。

 

建前を伝えて嫌われたら悔いが残るかもしれないけれど、

本音を伝えて嫌われたらある意味スッキリする。

 

もっと言えば、

自分の本音が受け入れられない人に嫌われる事は、

自分に合わない人を近寄らせないという意味で

素晴らしい事なのかもしれない。

 

嫌いな人に無理をして合わせるストレスから解放され、

自分らしく生きやすくなる。

 

確かに政治家やアイドルなど、

不特定多数相手にイメージで商売をしている人達は、

仕事・役割として演じなければいけないケースもあるかもしれない。

 

でも、そうでもない人達にとってみれば、

自分を無理に偽ってまで

元からそう高くもない自分のイメージを守る事に

躍起になる必要性なんてないはず。

 

 

それでも日本において、

建前がよく使われるのには

きっと意味がある。

 

それはきっとコミュニティの中で

うまくやっていくための生活の知恵。

 

例えば、

新入社員が参加した研修の感想を聞かれて

「勉強にならなかった」

と本音を言おうものならば、

「この機会のためにどれだけのコストが掛かっていると思っているんだ!」

と叩かれる。

 

口に合わない料理を残すと、

「奢ってもらった料理を残すなんて!」

と叩かれる。

 

そうやって社会人になると

よくわからない慣習の存在や、

本音を言えば波風が立つ事を知り、

本音を隠す事を学ぶ。

 

楽しくない事でも、

美味しくない食べ物を出されても、

建前で濁した方が敵を増やさずに済む。

 

新入社員が不思議に思うような事の中には、

なぜやっているのかも曖昧で合理的ではないルールが

慣例で続いている事も結構ある。

 

それでも、

非合理をそのまま飲み込んで、

建前で濁す文化がずっと続いてきているのは、

きっと本音だけではコミュニティがうまくいきにくかったからだと思う。

 

 

仕事をしていてよく思うのは、

合理的にやりすぎると優しくなくなる事。

 

最初は意味がなかったように思えた事が

後で意外に効果があった事だとわかる事は結構あるけれど、

本音で最初から白黒ハッキリさせようとしていたら全部なくなってしまう。

 

例えば、

高校で文化祭に合理性はあるかと言われると苦しい。

 

合理的に考えると意味なく見える事でも、

社内のやる気や人間関係への貢献も含めて

価値があることがある。

 

そんなメリット・デメリットや、

費用対効果で測れないものを残すのが建前の役割。

 

そして建前はある意味、改善の先延ばし。

 

何事も本音でやりとりすれば、

改善には繋がるけれど、

変化になるので仕事がドンドン増えて大変になる。

 

だから、どちらでもよかったり、

優先順位の低い事で余計な手間をかけたくなかったりする時は

建前で濁すことは

とても効果的なのかもしれない。

 

 

1つ1つの案件に対して、

「あれはもっとこうして欲しい!」

「これはおかしい!」

と本音でみんなが言うようになると、

1つ1つ対応して改善していかなければならず、

結婚式の打ち合わせのようにとても時間がかかる。

 

今それなりに回っているのなら、

全部をゼロから見直さなくてもいい。

 

本音で生きるというのは

今のブームかもしれないけれど、

もしみんながみんなすべての事で

本音を言うようになったら

組織内がとてもバタバタ・ギスギスする事になる。

 

こだわりのない事に対しては

建前でナァナァにしておけるからこそ、

自分がこだわる部分に集中できる。

 

建前を使う事は、

白黒どちらでもいい事を

グレーゾーンのまま置いておく

すごい手段なのかもしれない。

 

 

人が建前を使うのはきっと、

そこは本音で勝負をするポイントではないと思っているから。

 

本音で生きる人が素晴らしいと注目されがちだけれど、

建前で生きる人だって素晴らしい。

 

こだわるポイントは本音でぶつかる。

許せるポイントは建前で曖昧にする。

 

そうやって建前を上手に使う事が

物事の調和に繋がっているのかもしれないです。