自己犠牲

 

「社長なんて本当はやりたくない。」

「できれば会社をたたみたい。」

 

今までそんな話を嫌と言うほど聞いてきた。

 

管理職、サラリーマン、主婦でも、

他の誰かのために、

仕方なく苦しい仕事を頑張っていると言う人は多い。

 

昔ながらの美しい自己犠牲の精神。

 

たとえその想いが相手に伝わらなくても、

「誰かのために」という自負があるからこそ頑張れる。

 

どんなに苦しい仕事でも、

家族のため、社員のためだからこそ必死になれる。

 

本当に素晴らしいと思う。

 

しかし、その人が思っている以上に、

その必死の頑張りは、

大きな社会の中ではちっぽけなもの。

 

だからそこまで苦しんでやる必要はないと私は思う。

 

その人が必死に頑張らなかったとしても、

その仕事が社会にとって本当に必要であれば、

他の誰かが動いてなんとかなるように社会はできている。

 

会社が倒産しても、社長が亡くなっても、

社会は何事もなかったかのように普通に回っていく。

 

誰かがいなくなったところで、

すぐに次の他の誰かが出てくるだけ。

 

必死に金策に走り回って事業を存続させようとしなくても、

その事業が社会にとって本当に必要なら誰かに救済される。

もしくは他の誰かが代替商品・サービスを作ってくれる。

 

頑張って社員の雇用を守ろうとしなくても、

再就職先は意外に普通に見つかる。

 

会社に依存していた社員も、

親に依存していた子どもも、

変わらざるを得ない環境に置かれれば、

成長して自立してなんとかやっていくようになる。

 

今まで必死に命がけで守っていたものは、

本当は守らなくてもよかったものなのかもしれない。

 

今まで必死で頑張ってきた人ほど、

本当はわかっている認めたくない現実。

 

それでも、

誰かの重い期待から逃げる事ができなくて、

自分が誰かから必要とされなくなるのが怖くて、

必死に喰らい付いているのかもしれない。

 

しかしそうやって、

人生を楽しめていない苦しみは、

社員や家族、次世代にまで伝染する。

 

苦しんでいる姿を社員や子ども達が見てしまったら、

将来に希望が持てなくなる。

 

 

仕事も家庭も元々は、すべて自分で自発的に選んだ、

「頑張りたいから頑張っていた事」。

それがいつの間にか、

「誰かのために頑張らなければならない事」に変わる。

 

頑張り過ぎるほど、

「俺がおまえらのために、こんなに頑張っているのに!」

と自分の苦しみを他の人にも強制しようとしておかしくなる。

 

自己犠牲で誰かのために尽くす考え方は、

美しいけれど、幸せではないような気がする。

 

 

普通の人間である1人が自己犠牲を払ったところで、

社会に大きな影響を与えるなんて事はあり得ない。

 

苦しんでもたいした影響はないのだから、

せっかくなら楽しんで生きた方がいい。

 

自己犠牲なんてやめて、

好きな事を無理のない範囲で相手にしてあげるだけで充分。

無理がないからこそ続けられて、結果的に大きなものになる。

 

「きっとなんとかなるから大丈夫!」と信じる事ができれば、

決断の悩み、仕事の苦しみ、死の恐怖 etc、すべてから解放される。

 

ホームレスでも餓死しないのに、

まじめな経営者ほど、

自殺したくなるほどの苦しみを味わうなんて悲しすぎる。

 

まずはもっと気楽に今の人生を自分らしく楽しむ事。

 

そんな楽しそうな背中を社員や子ども達に見せていく事が、

ワクワクする未来を作る第一歩になると思うのです。