「何のために生きてるの?」
と聞かれてまともに答えられる人は
どのくらいいるのだろうか?
そういう私も、
「死にたくないから生きている」
と冷めた考え方をしていたり、
忙しさを言い訳に考える事から逃げていたような気がする。
今の自分なりの答えは、
「自分にしかできないと思える事をして、自分の価値を見出したいから」
仕事でも家庭でも、
「あなたがいてくれてよかった」と、
認めてくれる人が身近にいてくれるだけで
嬉しいし、頑張る力の源になる。
思い返すと私の場合、
社会人になって自由に仕事をさせてもらって、
自分の裁量で人の役に立てる喜びを味わった事で、
スイッチが入ったような気がする。
自分の頑張りが直接数字・結果に
結び付くわかりやすさ。
お金をもらいながら感謝されて、
認められたい欲求を満たす事ができる仕事は
本当に面白いと思う。
しかしそれが、会社の組織化が進んだ事で、
「あなたにしかできない事をやってはいけない」
となり、
「あなたの代わりはいくらでもいる」
と突きつけられたような気がして、
自分の居場所が見出せなくなった。
これが私が会社を辞めた一番の理由。
同じように組織の中で、
自分の居場所を見出せなくて、
モヤモヤしている人はたくさんいるはず。
たいてい組織や人間関係において
認められようと思ったら、
他人や過去の実績以上の結果を出す必要がある。
仕事を頑張ったからといって、
それで自己肯定感を持てる人は、
競争に勝ち抜いたほんの一握り。
なんとか結果を出したとしても、
今度は結果を出せる自分にしか価値がないと思えて、
追われてしまって疲れてしまう。
どんな時も他人は背中を押すことしかできない。
「あなたはあなたのままで素晴らしい」
「あなたは価値のある人だ」
と誰かにどれだけ言ってもらえたとしても、
自分で自分を否定してしまっている人には響かない。
結局、カッコ悪い部分もある”ありのままの自分”を、
自分自身で認められるようにならない限り、
自己肯定感は高まらず、
幸せを感じ続けるのは難しいような気がする。
それが前回のブログでも書いた、
私の場合、
起業して今の仕事を楽しむことができている理由は、
1つはたくさんの人の応援や喜びの声のおかげ。
そしてもう1つは、
「こんなに面倒くさくて、儲からなくて、特殊技能がいるような仕事を、楽しんでやれる人なんて他にはいないはず!」
という根拠のない自信によるもの。
とはいえ、この仕事でさえも、
他にできる人が増えてきて、
自分の必要性を見出せなくなったら、
ワクワクできなくなってしまう事だろう。
いつか頭が回らなくなったり、
体が動かなくなったりした瞬間に
生きる意味を見失い、
不幸のどん底に突き落とされる事になるだろう。
そう思うと、今の私も
他人軸の中に自分の幸せを
見出そうとしてしまっている。
自分が好きな事、やりたい事を
とことん突き詰めた先に
自分にしかできない事が
浮かび上がってくる。
会社においても、
自社だからこそできる事を追求すれば、
その会社の存在意義に繋がり、
会社は繁栄していく事になる。
とはいえ、それに捉われすぎると、
他と違う事をして認められなければ、
幸せを感じられなくなって苦しくなる。
やりたい事がやれなくても、
結果を出せなくても、
他の誰にも認められなくても、
それでも幸せと思える境地はきっと、
生きているだけで幸せと思えるかどうかにある。
自分にしかできない事を
無理に追求する必要なんてない。
誰にでもできる事を
誰かがやってくれているからこそ
社会は成り立っている。
無理して頑張る必要もない。
人が頑張る事ができるのは、
頑張る事を喜んでくれる誰かがいるから。
頑張っていない誰かのおかげで、
頑張る人が注目されて報われる。
誰かが負けてくれているおかげで、
誰かが勝つ喜びに繋がっている。
困っている人がいるからこそ、
人助けしたい人に気持ち良さを与えられる。
そう思うと、本当に
生きているだけで誰かの役に立っている。
何もない自分に価値を見出せるか?
最低の自分にマルを付けられるか?
いつか歳をとって、家族・友人に先立たれ、
仕事もお金もなく、体が不自由になったとしても、
それを惨めだと思わない事。
目の前に起こるすべてはきっと、
潜在意識も含めて、自分が望んで引き寄せた結果。
意味があって、価値がある。
少なくともそう思った方が、
前向きに何らかの意味・価値を見つけやすい。
どんな自分になったとしても、
幸せだと思えるようになって初めて、
不安なく本気でチャレンジできる勇気、
本当に今を生きられる勇気を
手に入れられるようになるのかもしれない。
優しくて満ち足りたこの日常に、
感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。